人は死があるからこそ、生を実感する。
現代に生きていて外敵に襲われるわけでも、全人類を滅ぼすようなパンデミックがあるわけでも、戦争に駆り出されるわけでもない。
主人公は死んでんのか、生きてんのかわからない日々にとうとう不眠症になってしまう。
治療のため色々な難病患者の集まりに難病患者として嘘をつき顔を出すことになる。
そこで
「死にかけている人間の話にみんな真剣になる。」ということに気づき、生の実感を得て、不眠症を解消。
だが、そんなのは仮初めで、そういった嘘は崩壊する。
次に彼が頼ったのは暴力性だった。。。
人間の動物性をありありと見せつけられる映画だった。
知性なんて微塵もない、猿であり、僕らは動物なんだと言われているようだった。
その中で誰かが作ったブランド、文脈、お金という幻想、資本主義という物語をぶっ壊していく。
理性や道徳ではダメとわかっていながらも、僕たちは破壊衝動に走ってしまう。
だが、人は人を殺せない弱さも同時に持っている。
この映画が、
マトリックス、今敏のパーフェクトブルーなどの、もうひとりの自分かもしれない自分を描いた作品と同時期に作られたのが、感慨深い。
自分自身、陸上部に入っていたが、その時、なぜ走ってるのか?とよく聞かれた。
「生きているのを実感するため」と答えていたことを思い出した。
便利になればなるほど、人間は動物として死んでいっているのかもしれない。
砂糖や社会によって殺される人のなんと多いことか。
昨今のランニングブーム、筋トレブームは人間がどこかで動物性、生の実感を求めているからかもしれない。
この映画はそういった筋トレすらもバカにし自己破壊こそが、生の実感だと問うていたのが印象的だった。
自分の持つ生きている実感の得方とははっきりいって違ったので、この評価になったが、編集もキレキレで面白い。