まりぃくりすてぃ

痴人の愛のまりぃくりすてぃのレビュー・感想・評価

痴人の愛(1949年製作の映画)
3.0
◆鑑賞前の予想◆

① ナオミ史上最強のナオミ
② パパ役、宇野重吉さん? 大丈夫?
③ どうせ原作の crazy さには届いてないだろな。。


◆観てみて◆

予想完全的中。
これは『痴人の愛』じゃない。『ナオミ ──performed by 京マチ子』って題が適切。crazy な魅力がなく、cloudy な映画。痴人感がないんだな。

宇野さん、ただ威張り散らしてるだけ。「出ていけ」の連呼がずっと耳障り。半端な二枚目半っぽさも結局、目障りに。
彼は、相手に恋しすぎちゃってる感を出せてない。まるで「兄」が「奔放で甘えんぼな妹」に説教ばっかりしつつ憎からず、にしかなってない。兄感なんて誰も求めてないよ。相手の顔と肉体には限りなく惹かれてる感、もない。オスとして威張ってるだけ。
京マチ子さんとのツートップ映画には全然ならず、マチ子頼りに終わる。だったらいっそ、不細工な小太り男優なんかを出させた方がよかったかも。

1920年代の男尊女卑日本社会でナオミという当時西洋っぽかった名のメス猫が高飛車にオノコを翻弄することの、爽快感。そして狂ってるけどこれも大人の世界の一端なのぉー感。そんな特異要素でまずは現代女性読者ウケしまくってるのが原作なんだよね。(その小説をきっかけに谷崎にハマってった子は私の周りじゃ女子ばかりで、谷崎好きな男子とは私は一度も出会ったことはない。わが男友達の一人は、全然主人公男性に共感できずカミソリ場面で「ナオミの顔を切っちまえ」と願ったそうな。そのカミソリは映画には出てこない。)“女尊男卑”場面連発でついには主人公の痴人感のゲテモノ性がオモシロすぎてパパを女子みんながゲロゲロと応援したくなる話だってのに、、この映画では、男が単に女を屈伏させるだけじゃん。
そして世の映画に多い、文学コンプレックス。説明台詞わんさか。ネームを描けない漫画家、みたいな残念な脚色力。

それでもね、演出は雑でもなくて、京マチ子さんのビジュアルの説得力! 
このマチ子こそが世の美の“本体”であり、現代の例えば中条あゆみちゃんなんかは“縦伸ばしした影”にすぎない。ふとそんなことを思った。メイクや限定角度でごまかしてるんじゃない。全シーンで大輪薔薇なナオミ! 鎌倉大仏をバックに歯が痛い、のとこ、邦画の贅を尽くしてる。
口から煙をピューーッと速く直線状に吐く彼女は、まるでゴジラ類。
別次元的なまでにハマリ役の彼女に、台本も他キャストもついてこれない。みんなの手に余ったマチ子。ひたすらナオミな映画。
ただし、彼女の演技力はいつもどおり。良い(良すぎる)のは顔かたちと関西弁とサイレントシーンと独り言だけなんであって、基礎的な言い動きがやっぱり単調。しかも『羅生門』のホラー風味とあまり変わらない?
ともあれ、踏切待ち~職探し、のサイレントタイム。そこだけ別の者が台本書いたみたいに完璧魔法映画だった。ラスト近くの長回し(踏切)の方はそんなでもない。

[角川有楽町]