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悪魔が来りて笛を吹くのbluetokyoのレビュー・感想・評価

悪魔が来りて笛を吹く(1979年製作の映画)
2.3
長い、つまらない、退屈。やはり映画化するにあたって原作を著しくはしょらない、という取り決めでもあるように思える。市川崑監督みたいに経験が豊富だと、たとえば、静止画をパッパッと連ねて、30分ぐらいのシーンを1秒にしてしまうとか、そういうテクニックを知っていないと苦しい。したがって、そういうテクニックを知らない監督による今作は、筋を追うだけで精一杯で、しかもわけがわからない。
主役の金田一耕助を西田敏行さんが演じていて、パワフルで機敏な動きを見せたりして、新機軸を生み出そうとしたのかわからないが、面白いとも思えない。
そんな金田一耕助のもとに、椿美禰子という若い女性が来て、斯く斯く然々、だから来てくれと頼みに来る。父親の椿英輔が、宝石泥棒の嫌疑を受け自殺したみたいだが、なんか、そこらをうろついていて不気味だ、調べて、ということ。

さっそく行ってみると、家には、母親の秋子、秋子の兄の新宮利彦、居候の玉虫公丸、妾の菊江(目立つが実は関係ない)、書生の三島東太郎、女中で東太郎の妹、種、がいる。

さっそく、砂占いをやろうということになったら停電。砂には悪魔の紋章。悪魔の紋章だよ、といって次の朝、玉虫公丸が殺されていた。

じゃあ、父親の椿英輔が須磨に行っていたので、行ってみようということになった。現地では、母親の秋子と兄の新宮利彦がセックスしていたことがわかり、さらに、新宮利彦は、別の女性ともセックスしていたらしかった。

この須磨の探訪には、東太郎、美禰子が同行したが、東太郎、美禰子の順に、東京に帰っている。なぜ、帰ってしまうのか、すぐにわかる。
秋子と新宮利彦の子どもが東太郎で、新宮利彦と別の女性との子どもが種だったのだ。別の女性は自殺した。父も自殺していた。
東太郎と種は異母兄妹なわけだ。

美禰子が帰ると、秋子と新宮利彦は、セックスしていた。

と思ったら、風神雷神の像で殴られて、新宮利彦は死んだ。とすると、次は、母親の秋子だ。秋子はどこだ、鎌倉だ。ということで、鎌倉へ。

鎌倉へ行ってみると、東太郎と種がいた。秋子は自殺した。

東太郎と種は、海岸へ。海岸で自殺した。

東太郎と種は恋人だったが、異母兄妹だと知って、結婚は諦めた。そんなことになったのは、秋子と新宮利彦がセックスしまくっていたからだ、この不埒なけだものを成敗してくれる。ということで、東太郎が皆殺しを実行、種がサポートしたのだった。

もっとエログロでもよかったかもしれないが、筋を追うことに精一杯なので、プラスアルファは望めない。
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