チバレリアン

アメイジング・スパイダーマンのチバレリアンのネタバレレビュー・内容・結末

4.0

このレビューはネタバレを含みます

主人公ピーター・パーカーが「ヒーロー」となることで自己肯定感を獲得するまでの物語として面白かった。
本作のピーターは他のシリーズとの違いとして友達らしき人が出てこないにも関わらず(2作目でハリーとはかつて友達だったことが明かされるが)、そのことについては全く悩んでおらず(ここもこの作品の素晴らしいところだ)一見、陽気に生きているように見える。しかし、心の奥底では自分に自信を持てていないことを示す描写があり、例えば両親との別れは「捨てられた」経験としてピーターのトラウマとなっており、彼の大きな行動原理となっている。また、ベン叔父さんを殺した犯人を執拗に追うのは、叔父さんを助けることができなかった自分自身を許せないという事でもある。
だから彼がスーパーパワーを得た後も他の犯罪をそっちのけでベン叔父さんを殺した犯人を追っていくのだが、そんな彼が見ず知らずの他者を助け、そこで初めて「スパイダーマン」を名乗るくだりが本作の白眉であり、感動的な場面だ。ここではピーターはなんとマスクを脱ぎ、それを少年に渡すことで彼を勇気づける。人々に勇気を与える「象徴」としての「ヒーロー」の存在意義を直接的なセリフを使わずに示しており、サム・ライミ監督版『スパイダーマン2』のメイ叔母さんのシーンともテーマ的に重なる非常にいい場面だ。この辺の描写はサム・ライミ監督版以上に丁寧に描写されていると感じる。
こうしたスパイダーマンとしての経験を経て、ピーターがベン叔父さんを殺した犯人を追う事を「いつのまにか忘れている」のがいい。これは彼が悲劇を乗り越え、自分自身を許したということをさりげなく示しているからだ。また、最後にピーターがグウェンと別れないことを選ぶのは、両親と反対の選択をしたということだと思う。どんなに正しい理由があろうとも、別れは相手を傷つけてしまうということをピーターは身を持ってい知っているし、自分自身の選択をするための自己肯定を得ることができた、という結末だ。あえてこの賛否両論が出そうな「正しくない」結末を描いた作り手たちはなかなか勇気があると思う。