昭和十九年、沖縄に兵隊が続々送りこまれるなか、国民学校の児童たちは集団疎開としてツシマ丸で那覇から出港した。しかし船は魚雷攻撃で沈没してしまう。そして翌年米軍がついに本土上陸する。凄絶な砲…
>>続きを読む長田新の『原爆の子』を八木保太郎が脚色し映画化。8万人を超す広島市民がエキストラとして参加し、原爆投下直後の広島を再現した。ベルリン国際映画祭で長編劇映画賞受賞。
昭和20年3月。窮地に立たされた日本軍は、勤労奉仕と称して沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の若い女性たちを戦争の最前線へ送る。日本軍のため、必死に働くひめゆり部隊。しかし、米軍の…
>>続きを読む昭和18年。沖縄ではまだ戦争の影は薄く、沖縄師範女子部の和子らは運動会を楽しんでいた。しかし、昭和19年になると戦局は悪化。やがて米軍グラマン機による空襲が那覇を連日襲い、和子ら女子学生は…
>>続きを読む1948年8月9日。長崎で助産婦をして暮らす伸子の前に、3年前に原爆で亡くしたはずの息子・浩二がひょっこり現れる。「母さんは諦めが悪いからなかなか出てこられなかったんだよ」。 その日から、…
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