みかん

うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマーのみかんのレビュー・感想・評価

3.5
リメイク版アニメがもうすぐ放送開始なので、かなり久々に見返しました!

「うる星やつら」は世代じゃないですが、子供の頃に再放送見まくっていて、今でも一番好きなアニメだし、一番好きな漫画。
紙ベースで全巻持ってる作品て、本作と「めぞん一刻」だけ。
どちらも学生の頃に揃えて手放せない。
再アニメ化も嬉しいし、めちゃめちゃ楽しみです!

押井守監督が手掛け、彼の出世作とも言われている本作。
アニメシリーズ初期も(確か第2シーズンあたりまで)押井守監督が務めていて、結構監督色が強い話も多いシリーズでもある。
本作もそうで、それが故に好き嫌いもけっこう別れるって言われてますよね。
メガネの濃いキャラや長い台詞まわしとかその筆頭。
こだわりが強く、やたらと理屈っぽい。
メガネは監督のアバターのようで、誰よりも高校生っぽくない。
私はメガネ。って始まるモノローグとか、日常の何てことないシーンでのやたら迂遠で回りくどい台詞での押し問答などなど。。。
私はアニメシリーズも大好きなので、メガネのキャラも好きだし、彼がいないと物足りなさもある。
ただ、本作はアニメシリーズと違ったシリアスな作風も相まって、メガネ以外のキャラクター達の雰囲気がかなり違う。
「うる星やつら」はコメディ作品だし、ギャグに振り切っているキャラクター性の強さが特徴なので、これが結構大きい違和感なんですよね。

よく指摘される、原作にはないダーリンがラムちゃんに惚れてるって台詞を言うシーン。
これは私も、その台詞を言わないのがダーリンの魅力の一つだと思うし、直接的なセリフでダーリンがラムちゃんに愛を伝えないというのは「うる星やつら」という作品の中で一貫している。
他の沢山の女の子には「好き」を安売りするダーリンが、ラムちゃんには言わない。
意地でも言わない素直じゃないダーリンと、言わせたい素直なラムちゃんの関係性を表している大事な要素なので、解釈ちがいだなって思うポイントではあります。
原作では、2人の関係は鬼ごっこで始まり、そしてまた鬼ごっこで終わる。
この鬼ごっこからのラストシーンは、この2人の関係性があるから最高なんですよね。
ダーリンのキャラクターのブレなさも最高だし、2人の関係性が少しずつ進んでも、これからもこのくだらない日常の中でワイワイ騒ぎながらラムちゃんはダーリンを追いかけて、ダーリンは素直じゃないんだろうなって想像できる。
物語が終わっても、変わらないキャラクター達にどこか安心できるような、そんな寂しい中でも温かい気持ちになれる最高のラストだと思うので。
やっぱり、このラストが大好きな私としては、本作でのダーリンの解釈違いは大きくて、なかなか受け入れられないかなと。

本作はループものの先駆けでもある作品で、ダーリンと毎日楽しく暮らしたいってラムちゃんの夢を実現するかのように、毎日同じ日を繰り返す。
日常の中の非日常感という、不思議な感覚を味わえる独特な作品です。
楽しい毎日を夢みたラムちゃんだけど、変わらない毎日を過ごすことを望んでいたわけじゃない。
夢から覚めと思いきや、覚めていないとも思わせる終わりかた。
夢の中の夢なのか。
これはノーラン監督のインセプションっぽくもある。
正直、哲学的な時間論や、意味不明で不可解なシーンも多く、よくわからんってなる。ラストあたり特に。

一つの作品としては良作かもしれないけど、「うる星やつら」としてはあまり好きにはなれない作品でもある。
「うる星やつら」に求めてる面白さって、これじゃないっていうか。
退廃的で陰鬱とした物静かな雰囲気が、「うる星やつら」見てる感じになれないというか。

めんどくさいファンみたいな感想になっちゃったけど、こういう作品は唯一無二ではあるし、これから先こんな作品もう作れないんじゃないかな。
クリエイター達に大きな影響を与えた名作には違いありません。

原作のある作品で作家性を出すことの難しさを考えさせられます。

リメイクは旧作に寄せすぎずにやってほしいな。
旧作に縛られすぎてもリメイクの意味ないし、同じようなもの作ったってそれなら旧作見ればいいってなってつまらないし。
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