ぷかしりまる

gerry ジェリーのぷかしりまるのネタバレレビュー・内容・結末

gerry ジェリー(2002年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

完璧な映画。悲しいけれどなぜか、心のどこかで幸せな気持ちになる。この映像の前で、言葉は無力なんじゃないかとさえ思う。大好き。
最も凄みのあるシークエンス、それは瀕死の二人が白砂の上を歩く場面。後方を離れて歩く黒く塗り潰された影は、その前方をふらふらと歩き、やがて生き残るもう一方の姿とは対比的に描かれる。そこでは音響も素晴らしく、水の幻聴のようなものが聞こえる。観客も幻覚症状を体感できるような凄みのある場面で、映画館で見られて良かったと思う。

以下は昔の自分が書いたレビュー。独りよがりだし、恥ずかしいけど過去の自分を肯定したいので残しておこう。















映画館で2回見た。どっちも号泣したし、寝た。

LyonのComoediaにて鑑賞。フランス語字幕付。午後4時半上映。観客は20人ほど。
作品と同様に、会場の雰囲気も落ち着いていて静かだった。この作品は同監督のMy own private Idahoのセルフオマージュであると解釈した。これは二人の白人男性が遭難するシンプルな物語であり、それゆえにどのような意味を持つのかを様々に想像できるが、私は以上のように判断した。またセルフオマージュとまでは言わなくとも、その作品やガス監督の別の作品と共通する要素が多々見られる。

冒頭のシークエンスでは、雨の雫のように静謐なピアノのメロディーが流れ、荒野を運転する車が映る。今作は主演がマット・デイモンということもあり、Good will huntingのラストシーンの続きを彷彿とさせる。またはMy own private Idahoのラストシーンの続き。(ガス監督の作品には度々、車で去るというテーマが共通して見受けられる。)私は上に挙げた2つの作品のラストに心打たれた経験もあって、あまりにも美しい始まりに涙した。走る車を後ろから捉え、次のカットで運転席と助手席にいる2人を映し、そしてフロントガラス越しの風景を映す。その移り変わりはゆったりとして観ていて心地が良く、期待が膨らんだ。

今作に焚き火を囲む場面がある。ケイシーが開口一番、I hate youと口にし胸が締め付けられた。なぜならそれは、My own…の焚き火の場面にてリヴァーがI love youと伝えることと対を為していたためだ。その場面の脚本はリヴァーが書いたもので、「お前の身体にではなく、心に近づきたい」と簡潔だからこそ胸を打つ言葉が紡がれる。今作では愛の言葉は紡がれず、2人の関係もよく分からないが、馬鹿話や冗談を言い合い時間が流れ、二人はそれを共にするのはMy own…と共通している。
またI hate youは、恋人たちがおふざけで「好きじゃない」と言う類のものとも受け取れる。そのように考えケイシーとリヴァーは重なって映った。今作のクライマックスにてケイシーは脱水症状の為衰弱し、眠るように死を迎えるが、それはMy own…にてナルコレプシーの症状のため痙攣し眠りに落ちるリヴァーの姿に似ていた。

今作の鍵となる見事な風景描写、それは例えば風と共に流れゆく雲や、遙かなる大地、剥き出しの岩肌であるが、それらは人間よりも大きな力を感じさせる。美しいだけの自然ではなく、それは人を殺し、そしてまた包んでもいる。My own…ではゆったりと流れる雲とその下に広がる小麦色の大地、天に向かって続く道、飛び跳ねる魚などが描写されるが、それらはGerry より幻想的で、まるで天国の風景のようだ。

My own…は心象風景である母親を探すリヴァーの物語であり、結局彼はそれを見つけることができない。加えて身包みを全て剥がされ、元の惨めな生活に立ち戻る。彼の想い人キアヌは元の惨めな生活から華々しい世界の仲間入りを果たす。
対して今作はとある場所を探し、遭難した為安全な場所を探す2人の物語であり、ケイシーはそこへ辿り着けずに死を迎え、マットは救助される。2つの作品の構造は類似している。リヴァーは、ケイシーは求めるものを見つけられず、キアヌは、マットは求めるものを見つける。2人の男性の対比的で、残酷な結末が描かれている。

またMy own…にてリヴァーは道路を指し、This road will never end と呟くが、Gerryにて2人はどれほど歩いてもどこにも辿り着けず、まるで終わらない道路の上を歩いているようだった。

今作とMy own…を比較するにあたり、特筆するべき点は今作のラストシーンだ。この作品はMy own…と同じなのだと驚き、切なさに涙が止まらなかった。それはマットがこの世を去ったケイシーを置き去りにして、車に乗り砂漠を去るというものだ。この場面はMy own…にて2人の対比を描く、最も残酷で美しいシークエンスと全く同じである。そこではポートランドの汚い街角で身を縮めてごみのように丸まり眠るリヴァーのすぐ側を、高級車に乗ったキアヌがそれに気付くことも無く通り過ぎる。Gerry ではマットはケイシーの死に気付いているという違いがあるものの、見捨てるように1人で乗車しその場を去る。リヴァーが23歳の若さでこの世を去った現実での出来事が変化しないように、二つの作品を通じても結末は変わらなかった。