しゅう

東京兄妹のしゅうのレビュー・感想・評価

東京兄妹(1995年製作の映画)
-
〈目黒シネマ名作チョイスvol.13 特集上映2015 市川準と女優たち 東京篇〉

冒頭、妹の裸体を仰ぎ見るキャメラからして本作は傑作と呼ぶほかない。ローアングルショットの多用は小津安二郎を想起させるが、たびたび画面に現れる電車もまた、『東京物語』を思い出させる。表象空間に流れる時間の静謐さ。死や性を連想させる記号的身振りのように親密なものは、その決定的場面はけっして画面に現れることがない。さいきん、日本映画には会話がないとちらと考えていたことがあったが、扉越しの会話、電話での会話、食卓を囲んでのたわいのない、作品のみちすじに何ら影響を与えない会話など、豊穣なバーバルコミュニケーションに溢れているというのは、静謐さとは裏腹に、本作に肉付けを行う。
あるいはテーマについて。本作は明らかに(その冒頭の表現からして)近親姦を主題としている。兄は妹の存在を口実に結婚を先延ばしにしようとするが、妹は一方で兄の意図を気に留めることはない。自分では好きに恋愛をするのだ。結局交際相手は死というある種の罰を与えられ、通夜の席では、(兄による)言い訳がましくいいやつだったと、第三者の口から語られることになる。妹をめぐる、こうした物語のみちゆきは、やや家父長制的な気配の漂う本作においては、政治的に非難されるべきかも、あるいは知れないが、映像表現という形式が、そうした陳腐な言説を寄せ付けないほどに完成されている。自己批判を内在させる映画、しかもそれを表現形式によって受け止める映画は、間違いなく傑作である。
しゅう

しゅう