デニロ

女体のデニロのレビュー・感想・評価

女体(1964年製作の映画)
4.0
東宝マークが出たので、え?と思う。題名と前売りチケットの写真から大映作品だと思っていた。でも、恩地日出夫監督作品を観に出掛けたのだから当たり前か。内容なんて全く知らなかった。1964年製作。

原作:田村泰次郎「肉体の門」とタイトルロールに出たので、あの類の話かと思いつつ。1964年から始まるボルネオ・マヤの物語。別の田村泰次郎原作小説を掛け合わせて物語を膨らませたそうだ。

唐突に牛が引かれて登場した時、不図、頭の片隅に妙なさざなみが立つ。大昔、今後上映されない映画と何かで読んだ作品ではないか。案の定、牛は、ボルネオ・マヤ役の団令子曰く「牛さんごめんなさい」という状態になってしまう。役者とスタッフで手を下し4台のカメラで同時に撮影し編集したとの事だ。牛の呻き声、体液、血液の臭い。役者は身もこころも疲れ果てたろうと思う。画面に被っていた台詞も同録なのだろうか。わたしには、ムリというやつだ。

脚色した恩地日出夫監督は、この撮影でおそらくわたしの思ったムリ、というやつを突き刺したかったんだと思う。1964年東京オリンピックの公共事業で賑わう東京。すっかり弛緩してしまった人々。戦後の混乱期、売春で糊口を凌いできたボルネオ・マヤも今や家庭の主婦に収まっている。が、何かが違うというその何かも言葉にならず、十数年ぶりにある日デパートの屋上で昔の売春仲間に出会うやその何かの気配を感じてしまう。

チェーホフ『かもめ』の中で、自己と他人の差異を追求するトレープレフは、「いまに僕は自分自身を撃ち殺すんだよ、こんなふうに。」と言って撃ち落したかもめを投げ出す。そして最後にまさしく自ら拳銃で不可解な自死で幕を閉じることになる。もはや思考が自己と他人の同一化に陥ってしまった如く意味を喪失する。本作では、終戦直後に盗んだ牛を殺して喰ったマヤの仲間たちもそれぞれ今の自分にマヤと同じような何かが分からなくなる。そのうちのひとりは全ての意味を喪失し自らの心臓をナイフで刺しとめる。そしてマヤはその死を見つめる側にまわる。

上映終了後、恩地監督の講演を聞いていたら頭が爆ぜってきて勝手に格闘してしまった。
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