今日は2020年8月9日。
75年前に長崎に原爆が投下された。
当時の長崎市の人口24万人(推定)のうち約7万4千人が死亡し、建物は約36%が全焼または全半壊したと言われている。
この作品は1945年8月9日の長崎原爆投下まで、市井に暮す人々の24時間を描いた作品だ。
監督は、黒木和雄監督。
脚本を書いた井上正子さんは私が昔、長編シナリオを描いていた時の指導講師の先生でした。
先々月末に井上先生が亡くなられたことを娘さんから聴いた。
私は当時サラリーマンを辞めて映画の専門学校に通っていてその卒業制作脚本を指導してくれたのが井上先生でした。
映画人はとかく批評、批判を軸に否定から指導に入る方が多く感じられたが井上先生は驚くほどに優しかった。
それでいて的確に弱点を指摘してくれ、脚本直しの度に自信が湧いてくるという初めての感覚を抱き、新宿のプリンスホテルのラウンジカフェで先生の助言を聴くのが楽しみだった。
一生徒に過ぎない私に目をかけてくれて、卒業式の直前に次男が生まれた時に、可愛らしい小さなファーストシューズをプレゼントしてくれた。そんな先生は後にも先にも井上先生だけだった。
靴を頂いた次男は今年中学3年生になり、靴のサイズも私が26.5センチ、彼が27センチと追い越された。
気づくと15年の月日があっという間に過ぎてしまった。
卒業後に映画プロデューサーとしてせわしなく過ごしていた時期も、その後もいつかいつかと思いつつもご恩返しもできねまま、先生の訃報をお聴きし本当に自身の不義理に悔いが残ると共に、何よりあの優しげな笑顔を拝見できないのは本当に寂しく感じます。
この作品は長崎に原爆が落ちる前日の24時間の話だけど、翌日に原爆が落ち、霧のように命が消えていってしまうことを知らず、つつがなく淡々と日常生活を送っている姿を描いていて、より心の深層にまで切なさと哀しみが沁みてくる。
ある者は結婚をし、ある者は子供を生み、
ある者は初恋を奏で、ある者は未来を語る。
もちろん僕たちは、翌日に何が起こったのかを知っている。だからこそ、その日常を懸命に生きている人々の姿に見入ってしまう。
実はこうして生きている何気ない日常生活にこそ普段は気づきづらい幸せがひそんでいるのではないか、と。
淡々と日常のエピソードが均等に並んでいる為、もっと一人の主眼から描いた方がドラマティックになるのではとも思う方もいるかもしれないが、それでこそ全編に渡り余韻深く忘れ得ぬ名作となったと思う。
太陽に照らされはためく洗濯物。
木に登ってカブトムシをとる子供達。
結婚式で写真をとって得意げな親戚の叔父さん。
原爆投下の前日を淡々と描ききった何気ない日常のスケッチがその後にくる悲劇の残酷さを強調して物語る。
黒木監督は「美しい夏キリシマ」と共に、戦時中の日常を描くことを大切にしている監督だった。
戦時下での日常の生活活写が胸に沁みるのは、ささやかな幸せがいかに得がたく貴重で素晴らしい瞬間なのかを改めて深く感じさせてくれるから。
コロナ禍で先が見えない現在、そのささやかな幸せの有り難みがより一層際立って見えるのではないだろうか。
今思い返して、そんなあの日の日常を優しく見つめた映画の眼差しを感じると、いつも笑っていた井上先生の優しい笑みが心に広がっていく。
井上先生、その節は本当にありがとうございました。
でも。こんな稚拙な文章を書いていたらそれこそ笑みを浮かべながら、もう少し頑張らないとダメねと言われてしまいそうだが、この作品に込められた想いを忘れずに映画と向き合い、書き続けていきます。
長崎そして広島の原爆被害で亡くなられた方のご冥福を改めてお祈り申し上げます。
出典:シネマエッセイ
映画「TOMORROW 明日」と明日を迎えられなかった想い。
https://note.com/qone0205/n/n56eca3d424ea