レオピン

女を忘れろのレオピンのレビュー・感想・評価

女を忘れろ(1959年製作の映画)
4.5
ホイチョイ馬場さんもオススメ。
感傷から我に返ればツッコミどころも多いが、不思議な読後感、まさにムードに包まれた作品。

まだ初々しい女学生のルリ子と元ボクサーでジャズドラマーの旭。この二枚看板を支えた金子信雄と南田洋子の好演。特に南田演じる年上の女、雪枝がいい。アパートの共同洗面台で洗っていた髪を振り上げる姿 タバコをフゥーっとはきかける横顔。断然いい女。

ルリ子は良家の嬢ちゃんらしく天真爛漫。もう少しで安部徹の毒牙にかかりかけていたのに天然体質。大体遺産の屋敷を売るなんていう決断を独り合点で決めている。相談もしない。バスの中でもナイトクラブでも人目のある所でベラベラと家の借金や重大な事情を暴露していた。しまいにゃ修のアパートを訪れた際に勝手に雪枝のことをお姉さん扱い。ったくそういうとこやぞ

ところがこのムード作品を支えているのは、こういった人びとのまっすぐな情念や信念のようなものだ。みんなが誰かのためにひと肌脱ぐ ペイフォワードの精神を持っていた。
雪枝は修の幸せを思い、友人の手術代を払って東京を去る
修は尚子のアパートを完成させるためにヤクザの吉野(金子)に身を預ける
誰しも一歩引く謙譲の美徳のようなものを持っていた。なぜそこまでできるのか?

完成間近のアパートを見学に訪れた時のあの嬉しそうだった修。自分が失明させた友人の手術の無事を聞いた時の笑顔。他人の幸せを心底から、まるで我が事のように喜ぶことのできる人間。これを英雄と言わずして何をいうのか。

一方で、男を挟んで二人の女がすれ違うといった話でもあった。彼女たちにもし現代の通信手段があれば、瞬時に誤解も解け互いに無二の親友となっただろう。だがアナログ時代にその可能性はない。少し前まで、すれちがいのまま一生会わずにそれきりというのがごく当たり前のことだった。誤解やすれちがい、独り合点というものが人間のコミュニケーションの本質。そう考えると情報通信の発達がムードを奪った大きな要因だという気もしてくる。。
 
みぞれ雪の降りはじめた夜、丸の内か新橋あたりを空港へと急ぐ車。突然運転手に止めてくれと頼む修 またも電話ボックスからのラスト やっと吐くことのできた七・五・五の短い言葉

ここでまた勝手に香港つながりを。『男たちの挽歌Ⅱ』(英雄本色)クライマックスでは、レスリー・チャンが公衆電話から妻のエミリー・チュウに電話をかける。事情を知らない彼女がペラペラと喋り続ける。聞いているレスリーのカットバック。あれ『女を忘れろ』だったんだなぁ。あとあのビル横の非常階段みたいな所で限定して撮った秀逸な格闘シーン。ボロボロになるまで執拗に殴られ続ける修。あれもマークと重なってみえた。(周潤發は、最初香港の小林旭という触れこみだったそうだが、やっと腑に落ちた。ありゃ顔立ちのことではなかった)

バンコクへ旅立った修。一体吉野は何の仕事を斡旋したのか謎のままだが、この苦い青春との訣別を越えて、アキラは今度はあのカラッとした快男児として帰ってくる。今作はマイトガイの誕生前夜と捉えられているそうだ。
自分は同時代を生きていないが、それでも何十年も遅れてアジアからもう一度戻って来たのを目撃していたのだった。
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