湯っ子

ミリオンダラー・ベイビーの湯っ子のネタバレレビュー・内容・結末

ミリオンダラー・ベイビー(2004年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

この映画は、ラスト40分程から、全く違う映画になってしまう感じがする。
そこまでは、女ボクサーマギーと老トレーナーフランキーのサクセス・ストーリーに見える。

フランキー演じるイーストウッドは、お馴染みの口が悪くて頑固だけど熱いハートを持ち、家族とは疎遠というキャラクター。
相棒の元ボクサー、スクラップ演じるモーガン・フリーマンは、普段は物静かでおとなしく掃除や雑用をこなしているけど、本気出したらスゲー奴。面倒見も良い。
この爺さん2人が本当に素敵だし、2人の関係性もすごく良い。
マギー演じるヒラリー・スワンクは、鋭い眼差しが野生的で、ボクサー役がぴったり。
登場人物がそれぞれ本当に魅力的。
ジム所属のボクサーたちも、ちょっとした描写なのに、彼らのキャラクターがよくわかるのがさすが。
丁寧な人物描写があるからこそ、この後に起こるエピソードがより説得力を持ってくるのだということがよくわかる。

女ということで、最初は相手にしていなかったフランキーだけど、彼女の熱意が伝わって、晴れてマギーのトレーナーになる。
このいきさつにも必然性を感じさせるのは、やはりキャラクター設定がきちんとしているからだと思う。

そして、マギーの母親はじめ家族がまた酷い。卑しい、という言葉がぴったりだ。
生活保護受給者について、私は仕事柄、多少は彼らの様子を見知っているので(全ての人がそうではないけれども)、あ〜、こういう感じ、あるなあ…アメリカでもそうなんだな、と思い、胸が痛んだ。
家族に絶望したマギーと、何らかの後ろめたい出来事から娘と疎遠のフランキー。
ボクシングだけでなく、お互いに父と娘の面影を映し出すように、2人は絆を深めていく。
ダイナーでマギーとフランキーが並んで座り、レモンパイを食べる幸せなシーン…2度目の鑑賞では、ああここで終わらせてくれ〜!って思った。

マギーが対戦相手の反則行為から、全身付随になってしまった後は、トーンがガラリと変わる。
辛くてしょうがなかった。
それでも、ユーモアを忘れず、お互いをいたわるように微笑み合うフランキーとマギーがいじらしく切ない。
ここで出てくるマギーの家族の劣悪さったら…
もうヒトというより、突然仏教だけど、餓鬼という言葉が浮かぶ。

ボクシングをやることで、マギーは欲しかったものを手に入れた。
名声、新しい世界、勝利の喜び、観衆からの応援。
でも、おそらくマギーが本当に本当に欲しかったもの、そして初めて手に入れたものは愛だったんだと思う。
この2人の間にあった、師弟愛もしくは、血は繋がらないながらも、親子愛と言って良いもの。
大好きだった父親の面影を映すフランキーから、初めて愛された。
フランキーもまた同じく、疎遠になった娘の面影をマギーに映し、心から愛していた。
何よりも美しく幸せな言葉「モ・クシュラ」を抱いて、彼女は息絶える。
2人の選択を誰も否定できないだろう。

スクラップがフランキーの娘に書いた手紙は、届くのだろうか。届いたとしたら、どう感じるんだろう。


[同年6月8日追記]

マギーのガウンの文字「モ・クシュラ」をフランキーが入れたのは、もともとは実の娘へのメッセージだったのでは。
しかし、フランキーのマギーへの愛は、いつのまにか娘への面影を映したもの以上になっていた。
マギーもまた然り。
最後の会話を交わした時、2人にはそれがはっきりとわかっていた。

後日、仕事中にこんなことを思いついて涙ぐんでいた私でした(仕事に集中しなさいよ!)。
湯っ子

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