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ジャッキー・ブラウンの海のレビュー・感想・評価

ジャッキー・ブラウン(1997年製作の映画)
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窓開放、カーテン閉鎖、キャミ1枚、対テレビ偉そうな姿勢をとってこの映画を流しながら、「タランティーノ監督の映画にある、ひとりの人間の中にあるクールさとダサさと賢さと愚かさ(ただしジャッキーだけは366日24時間1映画155分クールで冴えててセクシーだった)が、ほとばしって落ちたり噴いて出たりする会話劇は、自分の脳にとっては麻薬みたいに作用しているのかもしれない…」(でも本作はそこまでうるさくもなかったかもしれない…)と考えて、観終わってから永遠に眠った。夢の中でわたしは車に乗っていて、道自体には見覚えがあるのに周りの景色だけが違う坂道を下っていた。坂の終わりの交差点の信号が青になって、でもここ、こっちのターン短いから間に合わないだろうなと思ってると、いつの間にか隣に乗ったわたしの顔をした誰かが口を開かないまま、わたしの声をして喋り出した。「このまま間に合わなければどうなっちゃうんだろうね」それどういう意味って聞いてたらどっちみち間に合わないし、アクセルを踏んだ、ボロ車は加速して(たぶん現実、どんなに踏んでもあそこまでスピード出ないし圧に耐えられず部品がバラバラになりながら宙に舞うだろう、どんなボロ車)、3台並んでる右のレーンの尻について、1が行き黄に変わり、2が行き赤になった、3がブレーキを踏んだのを見て、対向車線に出て右折しようとすると前から車が来てぶつかる前にまた振り出しに戻った。また自分が同じことを言いわたしはそれどういう意味と聞く前に右折を試みる、何度繰り返したか、何回目かでその対向車が消え右折に成功した。わたしは「これで人生変わった」と用意されてた台詞みたいに綺麗にそれを言った。隣に座った自分がもう自分じゃない姿をしていることは分かっていたから車なんてどうでもよくなって映画みたいな戦勝のキスがほしかった、ところで外がうるさくて目が覚めた。本棚とギタースタンドの隙間で寝てた猫がベッドの下に移動していた。映画って良いよ、現実と夢見と理性と欲望が全部一緒くたに在るから。本当、こんなふうになれたらわたしもどこへでも行けたのかもしれないけど今ここにあるものへの、愛だってものすごくって、手に負えないよ
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