新潟の映画野郎らりほう

ワルキューレの新潟の映画野郎らりほうのレビュー・感想・評価

ワルキューレ(2008年製作の映画)
4.5
【二人の女神 ― ワルキューレとヴァルキリー】


きちんと「映画」を観ていれば、あの爆発に依ってヒトラーが 絶命に至った事なぞ一目瞭然である筈だが『暗殺は未遂に終わる』とゆう“史実”に囚われた大多数の観客は、“映画の真実”には目もくれずに ひたすら史実情報のみをトレースし続ける事だろう。

シュタウフェンベルク(クルーズ)の電話が“ハッタリ”であるのは、後段のゲッベルスの電話にも同様のハッタリが行われる事の暗示であるし、劇中 幾度も登場していたヒトラーは、あの爆発以降 画面には二度と現れる事が無い。
『これは事実に基づく出来事である』― 冒頭一文からして 史実の忠実トレースでは無い事は仄めかされているし、何より 全編 English language である時点で 事実/史実とは全く違う事が描かれるであろう事は推して識るべきだろう。



冒頭で“破滅の路逝くドイツへの憂い”を記述するシュタウフェンベルク。ドイツ国民が、ヒトラーが破滅者である事に目を瞑り 救世主と信じ込み“真実”を見ていないのだと ―。
その時のショットで彼の左目が極大接写されている事に留意したい。

その後彼はその左目を喪い 右目のみの隻眼となるわけだが、ここで この映画の主題が『複眼性』である事に気付く。一つは彼の右目、そしてもう一つ シュタウフェンベルクの喪った左目に代わり“真実を見る事を託された”のが我々観客である。

願望、思い込み、固定観念、常識に囚われずに真実を見る事。
ヒトラーを救世主と盲信していては 破滅者である真実は決して見えないだろうし、ヒトラー暗殺が未遂に終わったと思考停止しては 作戦なぞ成就しようもあるまい。

思い込みを捨て 真実を見ねば、また悲惨な歴史の繰り返しと為るだろう。然し 史実情報に囚われ 思い込み、この「映画の真実」すらも見る事 気付く事が出来ぬ様では どの様な末路かは自明であろう。


右目に相当するワルキューレ(独) Walküre と、左目で我々自身の眼差しでもあるヴァルキリー(英)Valkyrie のダブルタイトル《複眼性》を理解していれば『結末は既に解っている』等の固定観念塗れた思い込みなぞ決して口には出来まい。


終極、シュタウフェンベルクの熱を喪った右目は スクリーンの此方側をじっと見つめている―。




《劇場観賞》