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アンネの日記のmiporingoのレビュー・感想・評価

アンネの日記(1959年製作の映画)
3.6
むかし、アンネくらいの齢のころ、原作も読んで、親と一緒に三越劇場にお芝居も見に行った。ユダヤ人というだけで迫害され憎まれる理由がわからなかったのけれど、いまも正直わからない。その人の変えられない属性を理由に嫌悪するのは、やはり偏見と差別以外のなにものでもないという思いは、ずっと変わらない。
ストーリーがわかっているにもかかわらず、怖くてドキドキしながら観てしまった。狭い空間に二家族とあとから入ってきた歯科医の計8人が、二年間も隠れて暮らすというだけでいったいどれだけのストレスかと思うけど、希望を捨てないアンネがほんとに尊くみえる。お父さんのオットー・フランク氏も同様。
原作に関して敢えていうと、出版するに当たっては「家族の悪口や存命中の人物を不愉快にさせるような記述、またアンネの個人的なこと、興味を持たれぬであろう記述などを削除していった」(wikipediaより)そうであるが、わたしとしては、『アンネの日記』が文学作品としてもの足りなかったのは、まさにそこで、どんな家族の悪口を日記に書いたのか、個人的にどんなことを考えていたのかを知りたかったし、「興味をもたれぬであろう記述」かどうかは、読者が決めることなんじゃないかと思う。アンネのことを深く知るためには、削除は不要だったかと。まあ、父親としてはその作業無しで出版することは出来なかったことももちろん十分に理解はできるし、現在は増補新訂版が出ているようで、よかったです。
映画はとてもよく出来ていたと思う。隠れ家生活の閉塞感、窓からちらりと見える連行されていく他のユダヤ人家族を見たときの恐怖や自分たちの明日をも知れぬ運命に対する不安がよく描かれていて、だからこそ、ユダヤの記念日にひとりひとりにささやかな、ありもので工夫して作られたプレゼントを用意するようなアンネの思いやりが素晴らしいと思える。どんなに辛い日々でも、自分の心にも人の心にも潤いを与えることを忘れないアンネ。最後、隠れ家がみつかって自分たちを捕えにきた兵士たちを迎えるときにみんなが自ら自分たちの鞄を手にして外に出る準備を整え、覚悟を決めた表情が印象的。製作者が意図していたことかどうかはわからないけれど、どこか「この隠れ家生活がやっと終わる」というわずかな安堵感も見てとれた。アンネなどは、「次に行ったところでもわたしらしく生きよう」と心の中で誓ったのではないかな、などと思ったりして。
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