このレビューはネタバレを含みます
大日本帝国陸軍の第64飛行戦隊を率いて空で戦った"撃墜王"加藤建夫の半生。
昭和4年。春。
所沢陸軍飛行学校の教官として着任。
一番弟子は中国陸軍からの留学生の趙(ちょう)。
昭和12年7月7日。
加藤部隊は、盧溝橋事件に端を発した日支事変(日中戦争)に出撃。
敵として向かってくる、かつての一番弟子の趙を自ら撃墜。個人的な友情は変わらないものの、戦争とはなんと非情なものなのか。
昭和13年。晩夏。
戦闘で失った部下の家を訪ね歩き、戦死した状況を伝え「出撃を命じたのは私です」と頭を下げる加藤。
昭和15年。秋。陸軍航空本部にて。
新鋭戦闘機"隼(はやぶさ)"のテストパイロットとして意見具申。
昭和16年。日本が連合国に宣戦布告。
加藤隼戦闘隊は、シンガポールへ進撃。マレーの空で、英国戦闘機バッファローとの空中戦。
落下傘部隊との連携による奇襲攻撃も効を奏する。空に開き舞うパラシュート。
派手な戦闘シーンと激しい空中戦。
被弾し火を吹きながら滑走し、敵トーチカへ、隼で体当たりする者も。
昭和17年5月22日。アキャバにて。
敵戦闘機を撃墜したものの、自らの機体が火を吹き墜落。40才の生涯を閉じた。
海軍と比べると、扱いが雑で地味なイメージの陸軍航空隊だけど「加藤隼戦闘隊」の歌とかあったんだね。
♪世界に誇る 荒鷲の
翼伸ばせし 幾星霜
輝く伝統 受け継ぎて
新たに興す 大アジア
われらは皇軍戦闘隊 ♪