ブタブタ

姑獲鳥の夏のブタブタのレビュー・感想・評価

姑獲鳥の夏(2005年製作の映画)
1.0
この季節になると稲川淳二氏の怪談を聞くのが毎年楽しみなのですが「河童」や「座敷童子」の成り立ちについて稲川淳二氏の解説によると河童はその昔貧しい農村等で口減らしの為に赤ん坊や子供が小さいうちに殺して川に投げ捨てた。
それが川溜まりに骨が集まり、それを川で泳いでいて見た子供たちに大人達が「あれは河童の骨だ。あそこに近付いちゃいけない」と言ったのが始まりとか、座敷童子は大きな農家の屋敷などには妾に産ませた非嫡出子など「いない筈の子」をあれは座敷童子だと言ったり、それが座敷童子の正体だと。
京極堂シリーズにおける「妖怪」の存在も非常に理に叶った説明や解説があり妖怪がどう生まれるのか、いったい妖怪とは何なのか?その正体が解き明かされるのも醍醐味で、それは妖怪なんて存在しない全部インチキとかそういう事では決してなくて「魔が指す」の「魔」と言うモノ、それが人に与える影響や存在しない筈のモノが現実に影響を与え自らもまるで存在しているかの如く遂にはその恐るべき姿を人々の前に現す。
京極堂シリーズの面白さはその「目に見えないモノ」が存在するかの様に描きだす部分にあると思うので映像化は非常に難しいですし正直、実相寺監督といえど無理でした。
密室から忽然と死体が消える。
小説では量子論まで持ち出して「人間は認識してない物は見えない」ので死体は実はずっとそこにあり探偵・京極堂の謎解きによって魔法の様に死体が現れる場面があるのですが、映画では衝立がバタンと倒れてその裏に死体があったとか、なんともガックリ来る演出でそこひとつとっても京極堂シリーズの映画化なんてやはり無理だったな~と感じました。
唯一よかったと思うシーンは、瓦礫の山の街で久遠寺牧朗(恵俊影)の頭上を爆撃機がゴーッと飛んで行って「獨逸1945」とテロップが出るシーン、そこだけでした。

「妖怪」と言う目に見えない存在と対決するキャラクター達も“憑き物落とし”中禅寺秋彦や“超能力探偵”榎木津礼二郎など殆どラノベに出て来る様な異能者(笑)なのでその辺の描き方も物足りなかったです。

『文豪ストレイドッグス』みたいに異能者×妖怪とか大胆にアレンジしちゃうぐらいでないと映像化する意味はないのでは。

『魍魎の函』は見てません。
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