からあげ

名もなきアフリカの地でのからあげのネタバレレビュー・内容・結末

名もなきアフリカの地で(2001年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

記録するの忘れてた
2022/10/25鑑賞(ゼミ課題)

 ナチスによるユダヤ人迫害について、ドイツではなく「名もなきアフリカの地」を舞台に描くという空間設定は、大変興味深い視点であった。そして、主要人物はユダヤ人でありながら主な空間としてケニアを設定することにより、戦争の史実のみならず、人種問題・異文化理解など、人間の根本的な性質をも描き出していると感じた。
 本作品は成長して大人になったレギーナの語りによって展開され、その父親ヴァルターと母親イエッテルの対比が明確に描かれていた。先にケニアで過ごしていたヴァルターは既に現地での暮らしに馴染んでいるのに対し、後からきたイエッテルはケニアでの生活に不満を抱いていた。しかし、彼女も徐々に異文化に適応していき、徐々に夫婦の絆を取り戻していく。この変化から、異文化に対する捉え方についての、人間の根本的性質およびあるべき姿を観客に伝えようとしているのだと感じた。イエッテルはドイツではユダヤ人として差別される側の人間であったが、ケニアに到着してしばらくの間はアフリカの人間を差別するような発言を多くする。ここで、異文化にすぐに適応できず、他人種を見下すことで自己を守ろうとする人間の根本的な性質を見事に描き出している。一方で、娘レギーナは現地の子供たちと仲良く遊び、アフリカの文化を積極的に目にする。この親子の対比から、大人と子供で異文化に対する適応度に差があることも表していると感じた。さらに、最終的にイエッテルがケニアでの生活に馴染むことができたのは、アフリカの広い大地と、そこで暮らす現地の人々の心の広さによるものだと思った。異文化を受け入れることができないのは、狭い価値観で自己の文化を正当化しようとする考え方が一つの原因であると考えられる。そうした考え方を持っていたイエッテルも、アフリカの広い大地で暮らし、オウアのような広い心を持つ現地の人々と接する中で、異文化に順応していくことができたのだろう。
 以前、ロシアによる侵攻を受け日本に避難してきたウクライナの方が、日本において差別を感じると話しているのをニュースで耳にした。我々日本人の中にも、他国籍・他民族の人を受け入れる姿勢がない者がまだ多くいるのが現状なのだろう。多文化共生社会である今、本作品を鑑賞することで、難民を受け入れる側の立場の人間のあるべき姿についても考えさせられた。ゼミでは、こうしたイエッテルを中心とする異文化に対する考え方の変化が映像としてどのように表現されていたのかについても、理解を深めていきたいと思う。
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