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マレーナのnere795のレビュー・感想・評価

マレーナ(2000年製作の映画)
2.7
当たり前すぎて、誰も書かないのかも、だが、
マレーナは、マグダレーナの変化形である、
ふつうはイタリア語では、マッダレーナ、それがさらに欠落してマレーナに至る

つまり、マレーナとは言わずと知れたマグダラのマリア、からきているのであり、イエスに出会う前には娼婦であり、キリストを深く愛し、かつ、キリストから深く愛された、その人、それを象徴している

イエスは、世間的には卑しまれ疎んじられる存在であったマグダラのマリアを救い受け入れる

マレーナが父親の空爆の死で、燭台を見つめながら想いにふけるシーンは、ラトゥール等に描かれた絵画のモチーフのリスペクトなんだろうが、マグダラのマリアが、メメントモリの象徴である頭蓋骨に手を添えているのとは対照的に、マレーナは、髪を切ることで、現世への思いを断ち切る 
修道院にでもそのまま入れば、まさに図式的には完璧だが、どっこい、マレーナがとった現世との決別は、実際には「誰とでも寝る」という俗世の中の俗世の世界に他ならなかった

後にマレーナは、群衆が石を投げ、口汚く罵るその対象であり、しかし、それは、そういった群衆の欲望の投影でもあり、俗世の穢れ=原罪を一身に引き受けるその姿は、まるでキリストの姿にも重なる

第二次大戦時の、ナチス・ムソリーニ体制への協力者が、連合国側の勝利による終戦に至り、辛酸を舐めることになるのも、フランスにおけるそれが有名だが、イタリアでも大なり小なりあったことが窺える

トルナトーレの映画嗜好が今回も遺憾なく発揮されるのはまあよいとして、12歳の少年のヰィタセクスアリスを何もここまで下品に描写しなければならなかった必然性があったのか? それは、巷では名画とされる「ニューシネマ…」でも同様の指摘が可能だが
確かに、主人公に課されている役割は、石を投げる群衆とは一線を画する無辜の福音書家としてのそれであるがゆえに、あまりにその無辜たる点を強調すれば、生活的リアリティを失う、それは理解できなくはないが、それにしても、モニカ・ベルッチの美貌を単純に愛でたいと思う向きや、恋人とのデートでの映画鑑賞といった用途には、そぐわないと言わざるを得ないだろう 

自分としてはトルナトーレにしては、完成度が高いし、成熟した女性としてのモニカ・ベルッチの魅力を十二分に引き出したという点(ただし、個人的には、モニカ・ベルッチみたいのは苦手だが)では、鑑賞に堪えうる(何様だよ?っていうツッコミはさておき)ものとして評価したい

ただ、これも野暮かもだが、恋煩いで倒れたレナートを抱きかかえる母は、
バチカンにあるミケランジェロのピエタ像のパロディだけど、こんなの必要なのかな? こんなレベルが低いくすぐりでも喜ぶ観衆がいる、と思ったトルナトーレは、やっぱレベルが低いとしか… 妄想シーンでの名画の再現を含め、彼が考えるところのサービスがサービスになってないことに気が付いてほしいものだ
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