紅茶

ヤンヤン 夏の想い出の紅茶のネタバレレビュー・内容・結末

ヤンヤン 夏の想い出(2000年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

「でも先生は自分の目で見てません」
100点!!!!

以下自分であとで見る用でごりごりのネタバレしてるので映画を先に観てくださいね

おねえちゃんのティンティンがかなりのヤングケアラーなの気になる。長女をおとなしく全うしているとこ、すごく気になる。

エドワード・ヤン、ちょっとトホホで夢見がちな男たち、聖人のようなおねえちゃん、男より強い女たち、家庭に不幸がありあらかさまに奔放な女、が度々出てくるんだろうか、クーリンチェから続くほぼ同じ人物造形にエドワード・ヤンの持つ男女観と先入観がなんとなく伺えるような…。そして少年のキャスティングが絶妙に上手い。
「悲しんでる理由が後ろからじゃわからなかった
お互い何が見えてるか分からないとしたら
どうやってそれを教え合うの?
(いい質問だだからカメラがある
撮ってみるか)
真実の半分だけってあるの?
前だけしか見えないなら
半分しかわからないってことでしょ?」


「不思議です
なぜ私たちは“初めて”を恐れるのか
人生毎日が初めてです
毎朝が新しい
同じ日は二度と来ない
それでも私たちは毎朝
恐れずに布団から出る
なぜです?」
いえいえいえいえ毎朝怖いことありますぜ
イッセー尾形は声が良い
英語もうちょっとがんばってほしやったが。そしてピアノは教育がないと弾けないので貧乏設定に違和感、「胸に残る風変わりで異質な男」としてなかなかファンタジックなキャラ設定だった。
そしてこの違和感のセリフがすごく大事な布石になっている。
目を覚まさない昏睡状態の老義母にひとりで語りかけるシーン、
「近ごろいろいろなことがわからなくなってきました
毎朝不安な気持ちで目が覚める
そして思うんです
同じ不安を抱くだけなのに
なぜ目を覚ますのか
お義母さんなら目を覚ましますか
ヤンヤンも一理ある
歳を重ねた人に
答えてほしい質問をする以外に
なにを話せます?
だから話しに来なくても
許してやってください」



私には何もないと泣く妻、
リアルだわ
しかし散ってゆく家族なのに先日観た「はちどり」のように直接的な傷つけ合いはなく、お互いにやさしく遠慮しながらしだいに内面も疎遠になってゆく。
お父さんの宗教勧誘の断りかた、おだやかでナイスだったわ
「わたしも妻も誰かの助けは必要ですが
そういつも甘えては神もお怒りになるでしょう」

高級そうなマンションなのに玄関の鍵をほとんど閉めないくらし、
笛のような呼び鈴、
靴生活、
小学校にどうも昼寝の時間がある、
車のナンバープレートがかわいい、
テーブルにこんもり生活品が置かれた家の中や、ダヴのボディソープ、ノーマン・ロックウェルが同じように流行ってそのポスターがティンティンの部屋に飾られていたり(初々しいカップルの絵なのでまた象徴的、)窓から映る景色はわりと日本に似ているのにやはり違う国で、そこがひとつひとつ愛すべき差異に見える。

叔父さんかなりご迷惑な感じの人なんだけどなんであんなモテるん?意味わからんかったな…いちばん意味わからんとこは出産して不安真っ盛りの奥さんの前でめそめそ泣いて慰められとるところ。なんてええ奥さん!というか女二人はいい人なんだよ、二人とも逃げて!!とスクリーンの外で叫びそう。美人がふたりもだいなしやん。

そして懐かしい東京!!!
外国の映画で観た方がなぜこんなに懐かしいんだろう。2000年の東京が。泣いてしまうほど懐かしかった。


2000年公開。
当時タワレコのbounceでレビューを観た時「ヤンヤン夏の思い出」というタイトルと、いかにもやんちゃそうな少年の横顔の写真はとっても心惹かれたので
それはそれでグッジョブだったと思うんだけど、ものすごく夏でもヤンヤンでもない。
いまだとこれは原題の「a one & a two」だな、このまま行ったほうがよかったな、と思う。
内容もその通りで、邦題のおかげで何年も観たいと思った宿願の映画になったけど、原題のほうがやっぱりスッとしとる。

「人生を味わうなら自分の人生だけで十分よ」
お姉ちゃんいいわぁ。
「映画が発明されて人生は3倍になった」と言う叔父さんのエピソードも。
「どんな雲も どんな木も
皆美しい 人も同じだ
この言葉でものの見方が変わった」という落とし所のロマンチズムを
「なんだかわびしすぎるわ」
でバッサリ行くところもよかった。
「もっと明るい言葉はないの」
やっぱええわ。お姉ちゃんいいわ。

「人生をどう生きていくか人に指図されるなんてー
ミジメだ
しかも最愛の君から!
それがどんなに傷つくものなのか
わかるか」
(肝に銘じます)

「結局僕は君の望んだ通りに生きてて
君は僕といるよりずっと幸せになれた」
これは人生を俯瞰したからこそ出るいい言葉です

「毎日ただもう君の姿が見たかった」
なんてまぶしいセリフやろう、
最中ではないからなお美しい
(最中は鬱陶しい)

こういう若い思慕に対する郷愁をすべてをかけて描くところ、これだわわたしがエドワード・ヤンがひとりしかいないと思うところは。




日本の景色にも泣いたが
台湾の夏の夜はいいな

つるやホテルいつかいってみたい


私には何でもある
と言いながらひとつの愛にこだわるのもまたつらいね
得られなかったものほど輝いて見えるんだよって背中を叩いてやりたいよ
忘れがたい恋の思い出が自分を幸せにしないんなら
それはもう手離したほうがいいんだよ



それにしても奥さんは?
まあもうわたしだったら好きにしてくださいなですけども。
愛がなくても家庭は作れる
ほんとうに
親切だったらもうそれで
他人に愛されるかよりも
自分がどうしてるかが全てなので…

お父さんもお母さんもボロボロのなかひとりで闘う長女、
わたしにはヤンヤンではなく
ティンティンの映画だった。
あの男の子最悪だったねと肩を叩きたい。最悪というかもうクーリンチェの小四やん。恋に狂って殺人するティーンエイジャーめっちゃ出すやん、どうした監督。
そんなティンティンをひとりねぎらったのが逝く間際の祖母のみ。
ティンティンの賢さと優しさを消費する人間がどれだけ出てくることか。友人にその破却の危機の恋人、両親に、叔父の彼女まで。
「おばあちゃん
なぜ世の中はこんなにも夢と違うの?
目が覚めて
見た世界は
前と同じだった?
私は
目を閉じていたい
夢の世界は
美しいから」


さてボロボロの中年二人もリアルだった。この映画はむしろ中年の映画で、ヤンヤンで釣られた人はおもてたんとちがうになったに違いない(わたしもそれだか面白かったのでよい)

「うちと同じようだったの
母さんに話しかけるのとね
ただ役目が逆で
私が母さんで彼らが私ね
毎日 皆が代わるがわる
同じことを話してくるの
1日に何度も
それで気がついたの物事はー
複雑ではないと
複雑に見えるだけよ」


「君の留守中に
青春をやり直すチャンスに巡り合った
最初は昔とは違う結末になるとー
思ってた
だが
ほとんど同じだった
それで思った
人生をやり直すチャンスなんて
必要ないとね
一度でいい」
これも新しかったな


それにしてもポスターの、ヤンヤンがセミの抜け殻をにっこり眺めてるシーンどこあった?
見逃した?わたし??
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