あかぬ

ヤンヤン 夏の想い出のあかぬのレビュー・感想・評価

ヤンヤン 夏の想い出(2000年製作の映画)
5.0
この世で一番ごまかしがきかない生き物というのは子供なのかもしれない

寡黙でどこか風変わりな8歳の少年・ヤンヤンは、優しい祖母と、友人と共にコンピューター会社を経営する父・NJ、母・ミンミン、そして高校生の姉・ティンティンと何不自由ない暮らしを送っていた。ところが、叔父の結婚式の日を境に一家に様々なトラブルが起こり始める。
祖母は脳卒中で昏睡状態に陥り、そのために母は精神不安定になり新興宗教に救いを求めて家出。父は会社が倒産の危機に立たされ、仕事でのストレスが溜まり始めていた最中、偶然にも初恋の人と再会し心を揺らす。姉は隣家に越してきたリーリーのボーイフレンド・ファティから手紙を預かったことがきっかけで付き合うようになるが……というお話。

タイトルからなんとなく、ヤンヤンという少年の視点から家族の姿が描かれていくのかと想像していたが、今作の本筋はヤンヤン以外の大人、少年少女たちの姿を捉えた群像劇であり、ヤンヤンはその様子を我々と一緒に後ろからじっと見つめる無垢な傍観者として存在している。

ヤンヤンは、あらゆることに未熟ではあるが子供にしかない無垢なまなざしで周囲の大人たちをよくよく観察している。
普段口数の少ないヤンヤンが時々大人たちにぶつける、真をついたような鋭い指摘がとにかく最高で、全て見透かされているような真っ直ぐなヤンヤンの瞳に劇中の大人たちと同じように私も思わずドキリとしてしまう。

寝たきりで目を覚まさない祖母に対してかける言葉がわからず困惑したヤンヤンは、「お互い何が見えているのかわからないとしたら、どうやってそれを教え合うの?」とNJに問い詰める。
NJは「良い質問だ。だからカメラがある。撮ってみるか」と言ってヤンヤンにフィルムカメラを手渡す。カメラを手にしたヤンヤンは他に誰も興味を示さないようなロビーで飛んでいる蚊を撮ったり、人々の後ろ姿を撮ってはその人にプレゼントするようになる。
ヤンヤンの撮った写真たちを見て一体何の意味があるのかと小馬鹿にするような態度をとる叔父・アディに対してヤンヤンが「自分では見えないでしょ」と一言だけ言い放ち、アディが言葉に詰まってしまうシーンには私自信もギョっとしたし、これが彼の世界への態度なのだなと思った。

カメラを通してたくさんの人の人生を後ろから観てきたヤンヤンは、終盤で起こる甥っ子の誕生と祖母の死に自身の過去と未来の姿を同時に重ねて観るようになり、彼はそのときはじめて無垢な傍観者から離れて自分の人生について意識するようになる。稲妻の光と共に恋をし、生と死を知ったヤンヤンは、ようやく両親や姉が生きる世界の入口に辿り着いたのだろう。
ヤンヤンはこれから先の人生、両親や姉と同じくいろいろなことを経験することと思うが、彼の世界への態度はいつまでもブレずに持っていて欲しいと願う。

2時間53分という長尺で、冗長に感じるシーンもあったが、観終わった今は無駄なものなんて一切なかったのだなと思う。
なぜならその野暮ったさこそ人生であり、それと同時に、その中で予期せず起こる葛藤や喪失、胸踊る思いもまた人生だからだ。
会話に生まれる微妙な沈黙、サブキャラの細かい描写、風景、まなざし、その他すべての要素の積み上げがラストに繋がった瞬間涙がこぼれる…。まぎれもない傑作。この作品に出会えて本当によかった。


原題の『A ONE AND A TWO』には「人生で起きるいくつかのことは、数字の1+2と同じくらいとても単純なものだ」という意味があるらしく、劇中で「映画が発明されてから人生が3倍になった」という台詞があるように、私たちの人生を1とするならば映画という存在は2なのだなと気づいて熱くなってる現在。
あかぬ

あかぬ