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ヤンヤン 夏の想い出の海のレビュー・感想・評価

ヤンヤン 夏の想い出(2000年製作の映画)
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わたしは幼い頃の記憶がよく残っているほうだと思うけれど、入院していた大伯母さんのお見舞いに行った日、確かに見つめていたはずの顔を、どうしてか覚えていない。「おばちゃんのお見舞い行った時のこと覚えとる?」病院の前を通りかかったり、祖父母の家に行くたび、何度となくそう尋ねられたけれど、わたしが覚えていることといえば、あの病院に行ったのは確かあれが最初で最後だったことと、病室の中の様子、色や光や音、匂い、そういう何でもないことばかりで、大伯母さんの顔がどんな顔だったのか、どんな声でわたしにどんなことを言っていたのかが、思い出せない。わたしはベッドのそば、彼女の前に立って、そして何かを話しかけられた。確かに顔を見て、彼女は笑っていたと思う。それなのに思い出せない。だから、「覚えとらんよぉ小ちゃかったもん」決まっていつもそう答える。わたしが彼女について知っていることも少ない。いつどんなふうに亡くなったのか、病名も知らない、お葬式に出た覚えすらない。親戚が集まった時の会話から、名前と、とても美しいひとだったということだけを後から知った。あの日、わたしの手に触れた彼女の手は痩せていたけれど冷たくはなかった。部屋に差し込む陽光と、カーテンをふくらませていた微風、廊下から聞こえる足音や話し声、窓の外からは虫の声や車の走る音、夏の陽にさらしていた自分の腕は、汗で湿っていただろうか。いつかアルバムの写真で見た、あのワンピースを着ていただろうか。病院は好きだった、母がいつでも付き添ってくれて、ご飯が食べれなくなるわたしにゼリーを買ってくれて、言葉が好きなわたしにクロスワードの本を買ってくれた。でも自分が元気なのに、誰かのために病院に行くのが嫌いだった。あの日がもしも今だったら、十にも満たないわたしがもしも二十歳だったら、わたしは病院を好きになれたんだろうか。映画を観たり本を読んで、書きたい言葉はどれくらい違ったんだろう。あの日、あの病室の中に、明日があり、いつかがあり、次の夏があった。いとこのお兄ちゃんや、母や祖父母は、あの日どんなことを考えていたんだろう。「なぜ世の中はこんなにも夢と違うの?」休日の昼過ぎ、部屋の窓を全部開けてまわってると、猫が嬉しそうにとんでくる、それを見て笑うたびにわたしも、あの日大切に握られていた小さな自分の手を思い出す。下の部屋に住んでいる幼い兄弟に手を振って「ばいばい」をするたびに、自分の手に重なってきたすべての手のことを思い出す。生きていないと伝えられなかったこと、死んだあとだって分からなかったこと。ここにあるものが、手に入れたものの全てではない。ここにないものが、失ったものの全てではない。もうここには居ないあのひとが、何を言っていたか、わたしにどんなふうに笑ってくれていたのかは覚えていないけれど、自分の手指が夏にふれるたび、ずいぶん長いあいだわたしは、ちゃんと歩いてきたんだなぁと思って泣きそうになる。
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