ニューランド

五重搭のニューランドのレビュー・感想・評価

五重搭(1944年製作の映画)
4.0
☑️『五重塔』(4.0)及び『新道』(2.9+3.0)▶️▶️

映画史に特筆されてる形跡もなく、戦時中のフィルム制限でたかだか1時間の作、クライマックス部分が欠落してるような半端作で、初見の時期待もしていなかったが、やはり再見しても、五所映画のベストテンに入る、戦中では『新雪』と並ぶ傑作と思った。大映の美術⋅特撮の揺るがぬ本物の力以上に、端から幻だとか、ごく短いカットといった微細さではなく、普通めのカットが念押し持つ間もなく不意に切られる残るものがある呼吸、の編集⋅撮影。これが、コメディ系ではなく、叙情系の時の五所のタッチの証左か。ロシアでの保存状態の良さもあるが、ロケ⋅セット、建造物と自然、陰影の重み⋅厳しさは際立つ造型と云え(シルエットめメインのシーンも)、全退きと寄り入れ、浅めや90°角度変、退きめ⋅寄りめ同士の浅め対応、縦目伸びや三角形入るどんでんや縦の切返しの締め、ローめや部屋の隅の物の寄り入れ、無理ないゆったりめ移動、OL2⋅3重ね焼きや堅固ミニチュア(セット)と自然と光のそのサイズ造型の作り込み、光景とミニチュア合成、更にカットの数⋅サイズ抑えめで真意や意図のすぐには掴み難い役者演技とキャラ設定等は、溝口の力量も思わすが、その上でよりシンプル⋅人物相互の内面の寄っ掛かりに引き締まり、自然や物の配置位置が僅かに入り込む内の柔らかみ⋅瞬く味わいの切れ、が先に言った要素を初めとして現れ規制力をはたらかせている。名優たちの演技も、スタッフの辣腕も、これ見よがしに見せつけぬ事で、6~7分止まりで内に秘めてるかのような、底知れぬ豊かさ⋅深さを感じさせる。各々、2組の夫婦と師弟の関係もその垣間見得るニュアンス、人の情の艶が想像を絶する。
当時の批評は当然よくない。「ものたりない。あまりに簡単で、コク⋅起伏⋅感情がない。感銘のない、気のぬけた作。五所以外の演出なら、見てられない」とは、飯島正さんの戦中のメモの抄訳だ。反対と言うより、充分納得出来る。明治期か、谷中感応寺の五重塔の建立において、上人が当然と思った大工の親方の予定を差し置いて、腕は一流も喋るもままならぬような、社交下手⋅心を閉ざしたような、その下の男が名乗り出て、親方も身を引く。彼は、親方の特別な資料提供も断り、1人だけの念願の仕事の完成を目指す。直前まで寝るもままならず自問し続ける程苦悩するも、工期が始まると見違える威厳で現れる。その後、妨害で負傷、完成後の倒壊も当然の暴風雨、も乗り越えるが、影で見守ってくれてた親方の存在ににも気づく。
---------------------------------------------------
前回、五所の傑作群を羅列する時、本特集の紹介チラシを参考にしてススッと書いたが、『新道』と写してアレッ水島道太郎主演でない、ア、それは選定から漏れてる『新雪』か、と気づき修正した。それくらい、以前観た時の『新道』の印象は薄いものだった。実際、少し離れた同士を捉える、全⋅距離のある浅いリヴァース⋅寄り入れ、フォローや寄るめのスマート移動やパン、じっくり近づき語るズラシや重ね、等はある程度の才気は感じるが、創る執念⋅才気は薄い。
しかし、小柄でかわいいだけの田中絹代がなぜ大スターになれたか、本作を観て改めて大納得した。「恋愛なければ結婚相手とは」「結婚せずに互いに好きな仕事に生きて、自由な時の逢瀬を続けてく」と、洋装も当然にいきいきと気儘⋅魅力的⋅感染あたえて、振る舞う小粋さ⋅西洋的姿⋅日本的こぢんまりさにすっかり圧倒⋅魅了された。映画自体は、彼女演じる子爵家の自由な才媛が、父や相手の母の反対⋅その恋人(新興ブルジョアの純朴さ)の事故死⋅妊娠抱え、を乗り越えて、恋人の弟の荒波に対す、試験(仮装)結婚提案から本物の家庭を築くのと、その兄弟同然の従姉の消極的で、芽の出ない画家の恋人から、ヒロインの婚約者を充てられ受け入れるのを対比してくが、結局の「結婚と恋愛は別」「男の庇護で取り敢えず」という旧風の流れへの包まれは否定できてない。
ニューランド

ニューランド