小学生の頃、台風が近づくと集団下校して、傘が飛ばされそうになるのが面白かったことを思い出した。
自然災害による甚大な被害、そういうものをよく知らなかった頃のこと。
何か自分に直接害があるものでなければ、いわば他人事ならば、「何かいつもと違うことが起こる、それは恐ろしいことにもなり得る」出来事には心躍るところがあるのは否めない。
乱暴な言い方だけど、中学生にとって、世界の全ては学校。
だから、学校以外で起こっていることはみんな他人事。他人事だから正論が言えるし、台風という自然災害を面白がれる。
生と死について、真理に辿り着くことだってできるかもしれない。だって他人事なんだもの。
「お前は立派だなあ…でもお前も○年したら俺みたいになるんだよ!」って、ダメ教師が清廉潔白な優等生に言うところ、情けないながらも共感してしまう。
では、彼らは未熟で取るに足らない存在なのか?
年齢を重ね、彼らの親になった私たちと何が違うのか?
肩書き、常識(と呼ばれるもの)、老いゆく肉体、自分なりの処世術…諸々を取り払った核の部分は、そう変わらない。
だから、台風のさなかに学校に閉じ込められた中学生たちの乱痴気騒ぎやら、生死をめぐる哲学めいた考察で「思春期の鬱屈したエネルギーの爆発」を描きながらも、それだけに留まらないものが感じられるのだと思う。
「おかえり、ただいま」に切なさを感じさせながらも、そんな感傷を笑い飛ばすような表現も印象的だった。
私には、この映画に込められた意味を全て読み取ることはできないだろうけど、少しでも私なりの解釈をしたいと思わせる映画だった。