Ricola

他人の顔のRicolaのレビュー・感想・評価

他人の顔(1966年製作の映画)
4.0
街行く人には見てみぬふりをされ、妻にさえ拒絶される男。
そんな彼の顔は包帯で覆われている。

顔を「なくした」男の復讐劇を通して、我々がいかに人の見た目にとらわれているのか、しかしそれは単なる身の回りにあるものの「模様」や「柄」と何ら違いはないものとして表現されていることからも、顔という人間の表層部分のみで判断することの愚かさを皮肉った作品である。


観察するようにカメラが被写体にじっとりと近づくかと思いきや、突き放すようにパッとカメラが引いたりする。
この緩急のはっきりしたカメラワークが、作品の持つ奇妙な雰囲気を作り出していることはたしかだろう。

「顔がなければ心も閉ざされてしまう。」と、正当化する男対してその妻は、「扉を閉じてるのはご自身なんじゃないの?」と指摘する。
すると、窓際から差し込む陽で照らされていた彼の姿は、彼女の言葉に反応して彼が動くことで影へと真っ黒なシルエットと化してしまう。
「顔のない」彼は常に暗闇に葬られた状態であり、そこに光が差すことはないと彼は信じ込んでしまっているのだ。
彼は妻の「警告」にさえ貸す耳を持たず、完全に心を閉じた状態になっていることは明らかだろう。

主人公の男が通う病院の奇妙さ。
レオナルド・ダ・ヴィンチのウィトルウィウス的人体図や生物のホルマリン漬けのようなものが入った瓶が陳列している。
また、人間のシルエットを線で形どった図などが、診察室を囲む透明のガラスに描かれている。このガラスを通して人物を映し出すショットも多くある。
人間の「図」に主人公の男が自分の「顔」をはめるショットが特に印象深い。
自ら「普通」の顔に重ね合わせる行為は、ここではかなりアイロニックである。

規則的な「柄」が、彼らの周囲にある。
例えば、男の自宅にある黒い丸が連なっているモビールのようなカーテン、喫茶店の窓の外に見えるビルの規則正しく並んでいる窓など。
どこか冷たさと無機質さを感じるこういった「柄」や「模様」が、男の閉ざした心や人々の冷たさとリンクしているように感じられた。

見た目で人を判断しないなんて正直難しい。だけどそのことによって人を狂わせることは簡単なのである。
Ricola

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