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『テンペスト』に投稿された感想・評価

イタリア版DVD。字幕なし。23-174。マンガノ祭り。カラー撮影でテクニラマだからワイド画面の横縦比が2.35:1。ユーゴスラヴィアにロケし、軍隊の協力をえての戦闘シーンなど迫力満点。マンガノもめちゃきれい。コサックダンスとか恋人同士で焚き火を飛び越えるシーン。雪化粧の野原に春が訪れる美しさはみごとな映像のはずなのだけど、DVDの画質がVHS並で残念。『人間と狼』(1957)や『海の壁』(1958)もそうだけど、できればBDで見たかった。

原作はアレクサンドル・プーシキン(1799 - 1837)の『大尉の娘』(1836年刊)。題材のブガチョフの乱は、ウィキによれば「ロシアのヴォルガ川・ウラル川流域で1773年から1775年に発生した大規模な農民の反乱であり、農民暴動としてはロシアの歴史上最大のもの」。

プーシキンの原作にどこまで忠実なのかわからないけれど、主人公のピュートルはエカチェリーナ2世の閲兵式で酔っ払って粗相をしでかして辺境のベラゴールスク砦に送られる。その途中で凍死寸前だった男を助け、意気投合するのだが、それが後に反乱を起こすブガチョフだったというわけ。

辺境の要塞の描写がよい。木造の塀にかこまれたみごとな砦。砦のなかは雪解けの泥だらけ。そこに登場するマーシャ(マンガノ)が登場。豚の餌をやりにゆく彼女に挨拶しようとしてすってんころりのピョートル。どろだらけになりながら砦を率いる太尉に挨拶にゆけば、さきほどの美女は太尉の娘だったという筋書き。

もちろんふたりは恋に落ちるのだけど、横恋慕するのが砦に5年前に左遷されてきた士官のシヴァーヴリン(ヘルムート・ダンティン)。そこから決闘騒ぎなどがあってから、あのブガチョフの乱が始まる。ここまで退屈させずに一気にひっぱる演出はアルベルト・ラットゥアーダ。マンガノとはこれが3作目。

ラットゥアーダとの1本目の『ジョヴァンニ・エピスコポの殺人』(1947)にはクレジットなしの端役。2本目が過去を抱える尼僧の看護婦を演じた『アンナ』(1951)。例のマンボのシーンはモレッティが引用してるけど、イタリア映画史に残るもの。そして3本目がこれ。デ・ラウレンティイス渾身のプロデュースで公開された年のイタリア興行収入のトップだったという。

実はプーシキンの『太尉の娘』は1947年にマーリオ・カメリーニが同じタイトルで監督している。制作はやはりデ・ラウレンティイースで、そのときにブガチョフを演じたのはアメデオ・ナッザーリ。マーシャはイラセマ・ディリアン。デ・シーカの『テレーザ・ヴェネルディ』(1941)では白い電話の金持ちの娘リッリ、『Maddalena... zero in condotta』 (1940)ではカルラ・デル・ポッジョの相手役だったっけ。そして、敵役のシヴァーヴリンを演じたのがヴィットリオ・ガズマン。

そのガズマンは、本作では主人公のピュートルの死刑を求める検察官の役を、嬉々として演じてる。ほんと悪役すきなんだなこの人は(笑)。

そのカメリーニ版、ぼくは未見だけど、批評家からの評判もよかったらしい。そこでデ・ラウレンティースとしては、勝手知ったる作品にさらに資金を注ぎ込み、妻のマンガノを国際派的なキャストに並べてやろうという、そんな目論見があったのだろう。実際にこの国際版は興行的にも成功、1950年代末のイタリア史劇スペクタクルの到達点のひとつとなったわけだ。

そういう意味で、今見ても十分に面白い。コサック兵とロシア兵の戦闘シーンなんて圧倒的。そして28歳のマンガノの輝くような美しさ。こういう作品を修復して、できれば高画質で楽しみたい。

だってラストシーンもかっこいいんだよね。死刑台に向かうブガチョフがピョートルとマーシャに言う。妻をまもってやれ。長生きしろよ。そして覚えておくんだ。そう言ってこんなセリフを残す。「un mantello e un sorso di vodka non sono solo un mantello e un sorso di vodka, ma il principio. 」(コート1着とウォッカ一1杯はたんなるコートとウォッカではなく、プリンチピオなのだ)。

ロシア語ではどうなっているのかわからないけれど、イタリア語の principio は「最初に来るもの」が原義であり、そこから「原則」「原理」「主義」などの意味が派生する。ようするにブガチョフは、凍死寸前の人間を憐れんで、その命を助けることが、まず人間の行動において最初に来るべきものだというわけだ。

それはまさに「慈悲心」(misericordia)。東洋の言葉ならば惻隠の情であり、そこから生まれる道義心が「仁」。ブガチョフの反乱にあったものは、まさにこの「仁」であり、その「仁」によってピョートルは恩赦を得る。

だからこそあのラストがある。真っ赤な夕日の逆光に浮かび上がる死刑台。そんな陽の沈むところに向かうことは、夜が明ければふたたび登るものの暗示。そんなブガチョフ背中を見送るエカチェリーナの視線はどこまでも過去の視線。過去から未来へ。そんなエンディング。目頭が熱くなっちまったぜ、くそ。