せびたん

スタンダール・シンドロームのせびたんのレビュー・感想・評価

4.0
ダリオ師匠の日本趣味とヒッチコック趣味が満載な作品。
怖がらせる手法が日本の怪談ものっぽかったり、音楽や金髪のヅラがなんとなくヒッチコックやデパルマを連想させたり。まずそれだけでじゅうぶん楽しい作品でした。また有名な絵画がいっぱい出てきたけどタイトル&画家をまったく思い出せなくなってて哀しかったですわ…。最近絵とか見てないからなあ。

表向きのお話は15連続レイプ犯(途中から殺しちゃうようになるので連続レイプ殺人犯となる)の捜査にあたる女刑事アーシア(役名忘れた)がスタンダール症候群を起こしたことをきっかけに連続レイプ犯にレイプされたことで人格に変化があらわれて…みたいな感じでした。

美術館で絵画等の芸術作品に触れた時、動悸•めまい•失神•錯乱•幻覚等の症状を起こすことがあるらしく、それをスタンダール症候群というらしいです。小説家スタンダールがそれと思われる症状になったことを書いていたことが名前の由来とか(以上ウィキペディアから引用)。

本作ではそのスタンダール症候群をトリガーに主人公が〈自分の無意識世界に存在した思いもよらぬもの•忘れていたもの〉と出会うことを描かれていたような。そしてストーリー的には「ある人物の人格?性格?が他者に乗り移る」というスーパーナチュラルな出来事だったような。これは私の好きなタイプの作品でした。冒頭で記憶をなくしているアーシアが記憶を取り戻す時のシームレスな過去への移動!めちゃ好き。話の真相は分からないけど想像が膨らむ楽しさのある映画でした。

本作には〈犯人の正体が判明した後に起こった出来事であるにも関わらず、ひとりの被害者女性と犯人が出会った場面から殺人に至る一部始終を犯人目線の一人称カメラ&犯人の声を加工することで誰なのか分からなくしてる〉という演出があります。ここって私は普通に楽しかったのですが、もしかすると「もう犯人分かってるのになんでいまさら犯人の顔とか声とか隠すわけ?この監督バカなんじゃないの?」って思われがちな気がしたので、以下のネタバレで私なりの考察?妄言?を。

映像を言葉で説明するのって書きにくいし読みづらいしなので、あんまやりたくないんだけど、敬愛するダリオ師匠がバカだと思われるのはイヤなので頑張ります。



(以下はネタバレを含みます)


最初にこのシーンの流れの確認を…(これがめんどくさいし分かりづらい。なのに飛ばして読んでも問題なさそうなのがイラっとする笑)

矢印のあるところでカット割り?場面転換?があったと思って読んでもらえるとありがたいっす。


【3人称カメラ】街を歩く主人公→

【3人称カメラ】(唐突に場面転換)たぶん主人公と同じ街にいる胸の谷間が強調された女性(この女性は、のちに被害者女性だと判明する)→

【ここ以降はすべて犯人の一人称カメラ(POV)】被害者女性を犯人がナンパするシーン。声も加工されていて性別も年齢も分からなくなっている→

【POV】ナンパが成功したらしく、イチャイチャする被害者女性と犯人→

【POV】突然本性をあらわして女性の首を絞め始める犯人→

【POV】ピストル発射→

【POV】発射された弾丸が超スローモーションで映される。その弾丸に写る射撃者の顔。それは連続レイプ犯の顔だった。


こんな感じです。
普通に見てますと(普通って何?とかいう深遠な問題はとりあえず置いといて…)なんですでに判明している犯人の顔と声を隠し、犯行に至るまでの一部始終を見せ、最後にわざわざ弾丸に写る鏡像なんていうマニアックなアイデアで犯人明かしをするのか?ダリオ監督って馬鹿じゃないの?ってなりがちな気がします。けどこのシーンには伏線がありまして、それは以下のような一連の鏡像なのです。

本作には序盤からガラスに映る主人公(鏡像)と主人公(本人)を並置した映像がよく現れます。後になるにつれ、主人公と連続レイプ犯が並んで見える鏡像があったりと鏡像が変化(連続レイプ犯が参加し始める)していきます。なので銃弾に写る鏡像も、この流れで捉えたほうがいいと私は思うのです。
と同時に物語的には、連続レイプ犯の犠牲になった主人公のメンタル崩壊、スーパーナチュラル的には連続レイプ犯のメンタルが主人公に憑依する(あるいは主人公の潜在意識から呼び起こされる)という流れなんです。

このふたつをふまえて犯人目線のPOV &声の加工のシーンを目にした場合、「すでに判明してる犯人の顔や声を隠すわけがない」のですから、隠さなければならないものが別にあるんじゃないか?そしてそれはアーシアなんじゃないのか?って考えるのもアリだと思うんですよね。私はそう思っちゃってハラハラドキドキワクワクが止まりませんでした。そして「被害者女性を殺すために発射された弾丸に映る射撃者の鏡像」が連続レイプ犯の鏡像だったのを見た時、「よかった、アーシアじゃなかったんだ」とホッとしたのですが、後でよく考えてみるとあの鏡像は〈すでに主人公が連続レイプ犯と同一化した〉ことを表現してたのかもしれないなーって思って、ゾッとしました。

さらに言うと、連続レイプ犯は15件以上の事件を起こすわけですが被害者を殺すようになるのは途中からだということを考え合わせると、レイプして殺していたのはアーシアなのかもしれない。つまりこの映画は単純なレイプ魔vs被害者アーシアという構図ではなくて、レイプ魔vsレイプ殺人魔アーシア(レイプ被害者でもある)だったのかも。なんて。

そう考えるとアーシアは子供の頃にもスタンダール症候群を起こしていたし、故郷にはいい思い出がないと語っていたり、帰省すると父親が異様にアーシアを気遣ったり。母親がいなかったり。なんかそういう「なんのための描写?」って思ってた事柄が、意味を持ってくるんですよねー。アーシア本人は覚えてないけどもしかして母ちゃん殺しちゃった?父ちゃんだけがそのこと知ってる?

まあそういう解釈をしますと別の矛盾点もいっぱい生まれるのですが!(笑)

てなわけで、本作はいろんな解釈ができると同時にけしてひとつきりの真相に辿り着けないという作品だったのではないかと。複眼的というか。絵画でいうとキュビズムみたいな。こういうの大好き。
せびたん

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