イチャンドン監督作品、ずっと気になってはいたけれど、『社会的弱者同士の純愛』的なキャッチコピーに、手を伸ばせずにいた
それを取り払いたくて視聴
心が通じ合っているふたりだけれど
現実的にふたりだけで生きてはいけなくて
自立は困難、生活において誰かの助けを借りなければいけない
でもそのまわりの人たち全員
家族や近しいものとしての責任を感じて支えていて
ふたりに対して思いやりや気遣いがあっても
誰もふたりと心が通じていない
もちろん家族としての苦労や実際に被る迷惑は計り知れない
だけど、それを盾に、存在を軽んじたり、いい加減な扱いをしているような言葉や態度が度々見えることが苦しかった
ジョンドゥもコンジュも、まるで微細な感情の起伏がないような、繊細な感情が湧かないかのように扱われていた
ふたりの判断と行動を肯定はできないけれど、ただ正しさを振りかざすこともできない
常に向けられる偏見の目
ひとりの人間としての感情や思考、欲求までもを蔑ろにする人々にすごく腹が立って、やるせない気持ちになった
やっぱりこれを純愛って呼ぶには違和感があるし、さまざまなものに苛まれても互いにしかわからない愛を貫く美しい物語だとは思わなかった
ふたりの関係の始まり方が胸糞悪いけど、コンジュにとってジョンドゥは唯一自分を求めてくれた人、話を聞いて人として向き合ってくれた人、行ったことのない場所に連れて行ってくれて開放的な気分にさせてくれた人
孤独な者同士が惹かれあった
ある意味すごく残酷だった
オアシスの刺繍がされたタペストリーに木の枝の影が揺れないように一本一本切るジョンドゥ
空想の中のコンジュが駅のホームで歌う
私がもし空だったら
あなたの顔に染まりたい
赤く色づく夕日のように
あなたの頬に染まりたい
私がもし詩人だったら
あなたのために歌いたい
母親の胸に抱かれた幼い子供のように
満ち足りた気持ちで歌いたい
あなたのためなら
どんなことだってしてあげたい
今日のように一緒にいられることが
私にとってどれほど大きな喜びだろう
私の愛する人よ
私のこの気持ちが
あなたに届くかしら