河

ドクトル・マブゼの河のレビュー・感想・評価

ドクトル・マブゼ(1922年製作の映画)
3.8
4時間半のバージョンを見た。
人を催眠術で洗脳的に操ることができ、変装によって色んな人物になれる世界を操る見えない悪としてマブゼ博士がいる。マブゼ博士の行動原理は権力や金、女などあらゆる物への欲望で、それに対する行動原理として利他的、自己犠牲的な愛がある。その愛はマブゼ博士を愛している手下から被害者の妻に受け継がれていく。そしてその洗脳的な悪に対して有効なものは意思の力になっていて刑事がそれを持つ。
世界を操る見えない悪っていうモチーフはフリッツラングが途中で降りた『カリガリ博士』含めてドイツ表現主義映画によく出てくるモチーフではあるけど、この映画での悪であるマブゼ博士はその部下達含めてかなり人間的な存在になっている。
その愛がマブゼ博士の被害者の妻への欲望とすり替わっていく、受け継がれた愛がマブゼ博士を侵食していくような感覚があり、それがマブゼ博士を誰も立ち向かえない悪から失敗続きの人間へと変えていく。そしてその結果として刑事の意思の力に負ける。そして最後人間となったマブゼ博士は自分のかけてきた催眠術にかかって破滅する。それによって、マブゼ博士自身もその世界を操る悪のような存在に操られていて、そしてそれは人間の内側に共通して存在する悪のことであることがわかる。
ヒッチコックを経由して今のハリウッド映画に繋がっているような、かなり今の映画に近い構成であり演出になっている。表現主義的な影や鏡の演出もほとんどなく、舞台で集団幻想を見せるシーン、催眠術にかかった刑事が車を飛ばすシーンなど幻想的なショットはあるものの最小限になっていてる。
マブゼ博士の生きる裏の世界として地下カジノがあり、その描写にかなり力が入っていることもあり、裏社会含めた街についての映画でもあるように思う。地下カジノの非現実感、特に表社会としての社交場、裏社会のしての地下カジノでのストリップの対比的な演出が非常に良かった。カメラが動くのはムルナウの『最後の人』が最初だと思っていたけど、その一年前のこの映画で既に動いていた。
幻想的なシーンや非現実的なシーンがありつつも、全体としてかなり調和している感覚がある。幻想を現実と別で存在するものとしてではなく現実の中に起こり得るもの、現実の一部としているような感覚があり、それが調和している理由なのかもしれない。銃撃戦がアクションを見せるというよりはそれによって上がる煙を見せる形になっていたのが印象的。
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