otomisan

バニシング・ポイントのotomisanのレビュー・感想・評価

バニシング・ポイント(1971年製作の映画)
4.5
 元を糺せばコワルスキーがSFへの戻りを急いでいたからなんだが、死ぬほど気の急く用事、それとも相手がいたのか?気付け薬と与太話のついでにケチな賭けを始めて、まさかそれで死ぬ気で急ぐワケもあるまい?
 この男、街道筋の一部では名物らしいがサツの旦那方にはさっぱり知られてないようだし、突然悪名を高める理由を巡ってみなチャレンジャーについて行かざるを得なくなる。

 頭の空回りを止めるにはKの履歴を追う必要がある。

1960  陸軍入隊、ベトナムに赴任。
      メコン・デルタで戦闘に参加。
      任務中負傷あり。
1964  除隊、「名誉勲章」を受ける。
      (大統領からの直接の叙勲による。
       軍人に対する最高位の勲章である。
       160年間で3500名ほどが受勲。
       ベトナムでの受勲者は257名だそうな)
      警察官になりサンディエゴで勤務。
      以降、昇進2回、最終階級は1級刑事職。
1966  "Hero cop"逮捕事件
      ("Hero cop"、「英雄刑事」の名を提供したのは
       マスコミと思われる。
       Naked Honda娘がKに声には出さない"LOVE"
       になる理由がこれだろう)
      警察を解雇処分で退職。
1966? (1971年の五年前)恋人ベラ、冬の海で
      サーフィンに興じ海難、死亡。
1967  プロのレーサーで活躍、一年間。
      事故の思い出を2件。
1968  アルコール検査拒否で運転免許停止。
      以来、車関係の臨時雇い、車の配送業で生計。
1971  デンバーからSFへ謎のとんぼ返り。

 この中で、顕著なのは"Hero cop"逮捕事件である。Kは現役の刑事として証言台に立つ予定の裁判所前で同じ警察官から拘束され薬物の不法所持か何かだろうが、検挙の瞬間を新聞に報じられたのを砂漠のHonda娘に記録されていたのだ。娘は言葉にこそ出さないが監督はその胸の内を酌むようにバイクで去る娘とKの間に"LOVE"の落書きを挟んで見せる。しかしこの娘、この男は自分の相手ではなく、ベラの男と承知していたに違いない。
 この1966年とは公民権運動の高まりの果て、黒人の意識の高揚の末の事でSFでも大規模な黒人たちによる暴動が起きた年である。Kの回想にもあるように、警察官による不当行為に我慢ならぬKが何かの事件で被告側に有利な申し立てをする証人として出廷するのを阻止するための警察によるでっち上げ逮捕劇が"Hero cop"事件の真相だったろう。
 報道側がKを「英雄」とする謂れは、不法な警察に背きKが容疑者の側に立つ意志を示したことによるに違いなく、これが警察から解雇される理由ともなる。
 それから5年、アメリカ人ならなかなか忘れられない年月だったろう。同時にKにとっても戦場の英雄から意気揚々転じた民間人としての挫折とベラを喪った年であり、以降、いのちを擦り減らす一年の始まりとなる。

 このように、官憲に抵抗することの甲斐の無さが身に染みたKの筈が、人生最後の四日間で何かがガラリと変わってしまう。
 あいつか何かが待ってるらしいSFに是非にも土曜の午後に戻るんだそうで、総力戦で警察をぶっちぎり捲る。すると、こいつに加担しようという奴らが出てくるわけで、これが不思議でもない。それもアメリカの無駄なくらいの広さのせい、というべきだろう。
 砂漠やステップの真ん中でヘビ獲り暮らしするじい様は何故か先住民からの言い伝えに基づいて生きているし謎の宗教団は音楽を糧に孤立を目指す。ゴキゲンな田舎ラジオ局のDJは政治性を裏地にしてKの反骨を奉ってやまない。Honda娘の相方のヒッピー、ソノラの検問突破を図って率先して手を貸すが、いつからKの存在を知っていたのだろう。こうした局外者たちが直接間接にKの前進を後押ししてゆく。
 このアウトロー的気分も幾分かはベトナムに肩入れしすぎる政府への批判や世界各地で異議申し立てする学生の運動、1966年前後に頻発した暴動に代表される黒人差別への抵抗などに共鳴した人々の数年後、やっとこんな人外境に落ち着き場所が得られた姿なのかもしれない。
 しかし、彼等支援者たちが何を思おうとKの前進の真意は全く示されない。

 実はその分からなさこそ、この話のミソかもしれない。
 なにに駆られるか知れないKの進行にラジオKOWのスーパー・ソウルが煽られて荒野のリスナー達に知れ渡り、全国ネットのCBS-TVまでやって来て全米に報じられる下地ができる。自爆現場シスコの街にはどこから湧いたのか野次馬まで出て、彼らはきっとKの逮捕劇を見に集まったのだろうが案に相違して事は寸秒で終わってしまう。
 貴重な時間と期待が吹っ飛んだ虚脱を埋めるのはSFでKを待ってるだろう誰かか何かへの空想であろうが、それは誰もまだ手掛かりさえないし、SFにどんな証言者が待っているだろう。CBSが根掘り葉掘りするだろう明日から半世紀先までも余韻と謎を残している。
 「むかしこんな奴がいてなぁ」とDJを引退するスーパーが自分の呼び掛けが通じなかったこの男の一念をもうじき冥土で問えそうだと老境を喜ぶに違いない。そして、コワルスキーという頑固者、不可解で面倒で「爽快」な男にまつわる「ほら話」の最終章、その原典を耳にできるとしても、もう誰にも伝えられない事に半世紀前のこころの痛みがよみがえるのだ。
 このように、この映画はKの完結の一方で、その語り部たるスーパーの未完結な物語でもある。そして同時にその未完結こそ私たちが共有しスーパーと連帯するところであり、Kに相変わらず何かを求めてしまう所以なのだ。

 半世紀前のVP事件がその時代の動きにつられた事、暮らしからかけ離れて他国の紛争に、分かりもしない、或いは分かろうとも思わないのに全世界へと深入りしてゆく政治の将来、その行く先の、例えば全面核戦争などと言った全地球的不安、にもかかわらず足元の本国では旧悪に根差した差別感情から国民統合の困難も解決できずにいる、引き返したいけれど、もう引き返せない事も分かっているこの事態の重さ、そして偏狭で権威的、御身大切と不正義も辞さない地方権力に対して真っ当過ぎた男の生きづらい年月の果てに起きたのは言うまでもない。ただ、幾分クスリの勢いでエスカレートした事で、Kが最後の日々に見てSFへと駆られた夢もまた同じクスリの後押しかも知れない。
 その夢に現れたのがおそらく亡きベラであり、戻りの道中出会う女たちが皆、ブロンドの長い髪だなんてどこまでベラ押しするのだろう。

 そこでふと思うのは、半世紀も経って初めて、又聞きで耳にした逸話、先行公開された英国版にだけ出てくるところの、SF到着が未達成に終わった土曜の夜更け、突入の数時間前にKが街道で拾う女、ランプリング演じる名もない女とのエピソードだ。
 Kの「ずいぶん待ったか?」で始まって、女の「ずっとあなたを待っていた」で終わるのだそうだ。たどり着けなかったSFに残したその女が徹頭徹尾Kの見た幻に過ぎないとしても、また、互いの名前さえ知らない二人であるが、その女は5年前の記憶に連なる何者かであったのは疑いなどあるまい。
 英国以外では知られることのないこのエピソードがKの印象を反権力、自由を掲げる硬派な闘士からメロウに傾ける蛇足としてカットされたのか、映画そのものにまつわる逸話として本国上映を前に意図した販売戦略、Kに関する外典として放出するべく敢えてカットされたのか、しかしながら一たび耳にしてしまえばKの噂話のように付きまとってきそうだ。

 1966年の冬、ベラを強いて海から遠ざけていれば、Kの伝説は無く、幻との再会なんて裏話に、また、Kの証言に寄せる期待も生まれず、Kを説得する事の叶わぬ無念も無いという、誰も半世紀にわたる心残り、空白感を溜め込む事もなく済んでしまっただろう。
 「VP事件」という何事か、これは不幸な出来事に違いないが、それが存在しない、そんな物足りない今、あるいは今より余程不幸の少ない現代かもしれないが、そこにはどんなすきま風を覚えることになるだろう。
otomisan

otomisan