Cisaraghi

お嬢吉三のCisaraghiのネタバレレビュー・内容・結末

お嬢吉三(1959年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

TV時代劇全盛だった子供の頃、その中では女性が当たり前のように強姦・人身売買・買売春などによって虐待されていた。それらを見るともなく見て育ち、おぞましさを目に焼き付けられたことへの恨みはいまだに深い。まさか時代劇を進んで観るようになる日が来るとは夢にも思わなかったが、上記のような場面に出くわすと今でも強い拒否感や憤りを覚えずにはいられない。これだから昔の時代劇は嫌いだ、とあらためて思う。

この雷蔵さんというか、お嬢吉三は、私に許せる時代劇の基準に照らすと完全にアウトである。お嬢は玉緒ちゃん演じるお美和が幼なじみではないかと気づいてから、お美和を人として見るようになる。裏を返せば、それまでは人とも思っていなかったということだ。内の人間には義理人情を以て尽くすが、外の人間にはいくらでも残酷になれるという、こういう稼業の人たちの性をよく表すエピソードだと思うと同時に、太平洋戦争時の海外における日本人の蛮行の歴史や、関東大震災時の朝鮮人虐殺事件にまでつい連想が及んでしまう。

お嬢の蛮行から一転し、お美和を助けるための三人吉三の活躍と相成る訳だが、雷蔵さんがどんなに面白可笑しくお嬢を演じても、この人は、幼なじみじゃなければ美和を人とも思わず、あのまま非道な扱いをしていたに違いない、ということをすっかり頭の中から消し去っては観られない。あわやお嬢に襲われそうになったお美和は、助けに来てくれたにも関わらず、怯えてお嬢に近寄ろうとしない。最終的に助けられても、お美和はきっとどこかで本能的にお嬢に対する恐れを持ち続けるだろう。私も同様だ。そういう人が主役の映画を、心から楽しく観るのは難しい。

町の門を閉めたり、半鐘を鳴らしてまたその門を開けるなどのエピソードは話の起源の古さを思わせて印象的。但し、元になっている歌舞伎の『三人吉三廓初買』とこの話はかなり違うらしい。   
 美しさを狙っていなかったとしても、女装の雷蔵さんが思ったほど美しく見えなかったのは意外。女顔のように見えて、実はそうではないのかも。案外、和尚吉三役の北原義郎さんの方が可愛くてキレイだったかもね。

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