Akira

リトル・ランボーズのAkiraのネタバレレビュー・内容・結末

リトル・ランボーズ(2007年製作の映画)
2.0

このレビューはネタバレを含みます

ランボー5の情報を調べようとツイッターで検索したらリトルランボーズのあらましが出てきて。

あらまし読んで欲しいんですけど、すんごい面白そうなんですよ。なんか、このあらましだけで泣ける、というか色んな想像力掻き立てられてランボーによってそれまで禁止されていた映画娯楽の素晴らしさに気付かされて映画を撮りはじめるのか…とか考えてたんだけど想像と全然違うじゃねーか!!(完全に独りよがり)

行動が全部ト書きっぽいんだよね。
なぜ、ランボーなのかって凄い大事だと思うのだけど観る訳でもないのにランボーのビデオかけてどっか行ったり、ランボーに憧れる訳ではなくランボーの息子とかそんな居ないような奴になりたがって映画撮り出したり、映画を率先して撮影するって結構大きな理由必要だと思うんだけどそこは割愛されてて。ランボーである必要もないし。
タトゥー入れたりナイフのキズも、親バレする伏線か?とか思ったら全然触れないし、靴の修理後に靴下になったり万引きのくだりも、要らない。何故こんなことさせてるのか、分からない。理由がない。

カメラはレンズが妙に歪んでて、フォーカス送るたびに酔いそうになるくらいグワグワと歪み気持ちが悪くなる。オエエ。

でも、一つ凄い分かったのは、途中から自主映画ってこういう感じだぜってのをデフォルメして描き出した所。影響力のある人間を巻き込んで、その人がまた別の人連れてきて。それで作品の軸がずれてって。で、これなら二人でやってた方がヘボいけど楽しかった…とか言い出す奴も現れて。フランス人とかあの二人にとっては、福音で、キチンと上手くいけば学校全体を巻き込んで凄くいい映画を撮れたのに。リーダーシップを取れないと周りを疲れさせて傷つけて、事故る。
あのフランス人、何も悪いことしてないのに最悪な扱いだったからな。

だから映画のメッセージとも何とも違うけど、映像作品というのは何人もの意見をリーダーシップというエゴでまとめて仕上げることでしか、ちゃんと完成しない。ってのを再認識。

関係ないけど、誰の意見もまとめていない、何のルールにも縛られず好き勝手に一人でやってるYouTuberは表現者ではありません。あいつらは公園にウンコ撒き散らして掃除せずに帰る、あまつさえそれを自慢げに飾り付けて金貰っている方々なので同業者と思いたくないのです。飽くまで完璧な私見ですが。

アレ、何の話せてたんだっけか。
Akira

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