カレーをたべるしばいぬ

仄暗い水の底からのカレーをたべるしばいぬのネタバレレビュー・内容・結末

仄暗い水の底から(2001年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

本作の監督が『それがいる森』を撮ってます。それが一番のホラーです。

■恐怖の種類
現実性の侵食、生理的不快感、母性の盗難

■mid90's
90年代半ば生まれに刺さりまくる。俺達がガキの頃の社会がここにあって、本当に懐かしい気分になる。と同時に、この映画の世界に入り込んでしまう。ネットに入った石鹸、ブラウン管テレビ、当たり前のようにある灰皿、屋内給湯器、手動水栓、花柄のホーロー鍋、パイプ椅子、PHS、色が明るめで背の低い木製家具。
帰ってきて取り敢えず押す留守電とか堪らない。

■面白みのないホラー映画としての精巧さ
娯楽として楽しめるホラー成分が削ぎ落されているため、粗さが目立つ作りになっていると思う。ヘンな箇所は少なからずある。だが、その「違和感」こそが、現実と非現実の境目を曖昧にするように作用しているようにも感じてしまう。安っぽい演出が限りなく少ないからこそ、数多あるB級ホラーならばノイズになるような「粗」も、高尚な恐怖への足掛かり的演出として観客側が勝手に解釈してしまう力がある。

■ムカつく大人?
母親がムカつくというよりは、娘が可哀想。
実際、大人や親は万能ではない。環境の変化には弱いし、精神が崩れることもある。黒木瞳は必死な母親として自然な演技が上手いと思う。精一杯の愛情が感じられるからこそ、この映画の肝である「母性の盗難」という不快指数の高過ぎる芸術的な恐怖が映えている。

■直接的な意味での湿気
よく、"ジメっとしたホラー"という言葉を聞くが、本作はそれを地で行っている。形容ではなく、事実としての湿気が日常を襲ってくる。
水、染、滴、濁、そして水、水、水、水…。そしてそれらは、一貫して「上」から来る。死角である「上」は生理的にとても怖い。

■好きなシーン・演出
大人に怒鳴られた時の娘の顔
ずーーっと見えない顔
貯水槽に落下する赤い鞄
舞台装置としてのエレベーター
最後に初めて登場する階段

■総評
(視点誘導等は見事だが)観客が常に安全圏にいる構造の映画なので、当時の空気感を知らない層からすると上手く入り込めずにインパクトのない"盛り上がりに欠ける映画"になる。「昔の話でしょ」というバリアが更に一枚噛んでしまう。
日常を丁寧に描くホラーこそ、世代ごとに充実感の差が出ると思っている。怖いよ。