このレビューはネタバレを含みます
とても綺麗にまとまった映画。
先にシャワー浴びていてよかった。
最後の、一緒に連れていたお風呂の子がいくこではなく、みつこ、みっこだったシーンはやられた。天晴れ。
黒木瞳の淑美はどうしてみつこと結ばれることにしたのか。いくこをまもるため、同じくシングルファザーのもとで育ったみつこに共感したため。不安定な心隙間に、みつこに侵入され、操られたため。そのどれもかな。
エレベーターが上がってきて汚水、というかみっこの素がザバっとかかるシーンはシャイニングのよう。
常に湿気ていて、ありえないだろ、と思いつつその気持ち悪さが素晴らしかった。
汐見台という京王線バスの団地の感じが、昭和の高度成長を超えた平成の悲壮感を感じさせる。
管理人の関心のなさ、園長の二面性(自由といいつつ、無責任で放任)、不動産営業の無責任さ、夫の偽善者感、など全てが気持ち悪い。特に、淑子に言われても管理人や不動産営業は動かないが、淑子の弁護士男に言われると簡単に動く様も不快感を増す。
職場に子どもの写真を置く女性は仕事に集中しろ、と見下され、写真を置く男性は家族のために仕事をしてえらい、となるそうだが、このシンママの淑子が子ども都合で幼稚園や離婚調停、仕事に向き合えなくなって狂う様子が何よりもジメジメした社会を表していて気味が悪い。
滴る水、いくこに這い寄る水、溢れ出る水、伝う水、驟雨、湿気、雫、飲み水、などこれでもかと浴びせられて潤った。
死後もみっこと生きる淑子の人生はどうなのだろう。最後、いくこも呪われるのか、と思ったがお別れだった。郁子は幸せになってくれ。