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シークレット・サンシャインのodyssのレビュー・感想・評価

2.0
【不透明な映画】

不透明な映画だな、というのが率直な感想です。この映画には分からない部分が非常に多いのです。

まず、ヒロインは子供を連れて亡くなった夫の故郷に引っ越してきます。それは夫の故郷に行きたいからであると同時に誰も自分を知らない場所で暮らしたいという気持ちからでもあることは作中でも示されていますが、はたしてそれだけで都会暮らしに慣れた未亡人が地方都市に引っ越せるものなのか。というのはヒロインはピアノを教えて生計をたてているようですけど、韓国ではあの程度のことで生活できるのだろうか、と私は疑問に思いました。少なくとも日本なら、あの程度のピアノ教室だけで生計をたてるのはまず無理ですね。親と同居しているとか、夫がいて収入があるとかなら別ですけど。

不思議なのは、それでいてヒロインが土地を買うとか投資するとかいう話をおおっぴらにしていること。これが幼い息子が誘拐される遠因ともなるわけで、何でヒロインが嘘をついて財産持ちを装わねばならないのか、全然理解できません。もともとそういう見栄っぱりな性分だというなら、その後の展開でもそういう性格であることが災いになるような筋書きにすべきだと思うのですが、そうなってはいません。

次に、ヒロインは母親としてかなり不注意な人だと思います。息子が誘拐される以前にも、通りの向かい側にある薬局の人から呼ばれて、息子を置いたまま道路を横断して薬局に入ってしまい、息子の姿が見えなくなって不安を覚えて薬局を出るというシーンがあり、これは誘拐シーンの前触れのように感じられるのですが、あのくらいの年齢の子供を置き去りにしたまま薬局に入るというのは母親失格ではないでしょうか。

また、誘拐の場面でも、夜なのに小さい子供を自宅に一人残して出かけており、そのこと自体も無責任なような気がしますが、それを問わないとしても、はたして戸締まりはちゃんとしたのでしょうか。映画を見ている限り、その辺が非常に疑問なのです。

初めて入った店でインテリアの欠点を露骨に指摘したり、自分に好意をもって親切にしてくれる男に突っ慳貪に応対したり――だったらいっそ一切の付き合いを拒否すべきだと思うのですが、困ったときには頼ったりしているところが中途半端というか身勝手です――このヒロインには性格上の欠陥が目立ちます。

断っておきますが、ヒロインが性格的に悪かったり母親の素質に欠けているから、だから映画としてダメなのだ、と言いたいのではありません。ただ、このヒロインは観客から共感されるような人間ではいささかもないわけで、私はずっとヒロインを突き放した気分で映画を見ていました。彼女はたしかに息子を失って苦しみ、宗教によっても救われず、どこに行くのか分からないというような状態になります。しかし、だから一緒に泣こうという気にはならない。自業自得とまでは言いませんが、極端な例を挙げるなら罪もない人間を連続して殺した犯人がそのあとでいくら罪を悔いてみせても共感するのが難しいように、私はもだえ苦しむヒロインを「ただそういうもの」としてだけ眺めていました。

というわけで、すごい映画だとかすごい演技だとか言えるのか、分からないのです。ヒロインを含め美男美女が全然出てこないところも、映画的な魅力を欠く原因になっています。といってこの作品が芸術なのだと言えるかというと、首をかしげざるをえません。ヒロインの悪やダメぶりを徹底的に見つめる視点がないからです。不透明な映画だと私が感じた所以です。
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