見ててしんどかった。
しんどさをなんとかしたいので言語化。
一時的に神に救われた被害者イシネが
加害者を許そうと面会に向かったら、
加害者も神に救われて顔色良く健康に生きている
という状況に目まい。
さらに、一緒に刑務所に向かった同乗者も教会周りの人々にも、イシネの辛さ悲しさを理解できてないのが、余計にしんどかった。
祈ること信仰すること信じることの
白々しさ空虚さ無力さを感じた。
喉の奥でネバネバした痰が蠢くみたいな気分になった。
病院退院から美容院での加害者娘との邂逅で
もう救いはないのかよぉおおお!って。
でも、インテリアを黒から白に変えたおばさんとの「頭おかしくなったの?」という笑い混じりの会話や
美容院で途中になってた髪をイシネ自身が切るシーンで
少しだけマシな気持ちになれた気がした。
ソンガンホの演じてた
車屋キムのヘラヘラしたボンクラ感が
映画内では和みや安らぎではあったけど、
人間の無力さの象徴でもあるような気がして複雑。
笑いとシリアスとの高低差で耳がキーンとなる感じ。
イシネの息子が金髪メッシュで不良かな?と思った。
でもスピーチ大会でいい子やーんってなった。
けどその後の展開でいい子だということが余計に悲しくさせた。
イチャンドン監督は、そういう先入観を使った落差を使うのがうまいのかなと思った。
事件の後イシネが教会に行った場面では、
カメラは身をかがめている女性の背中を映しつつ
泣いている声がする。
なので、その背中の人が泣いているのかなと思ったら、
次のカットでイシネの泣き姿が映されて
イシネが泣いているのがわかるというのも
叙述トリックみたいで面白かった。
イシネ役のチャンドヨンは
薬屋の教会長老を誘惑する場面で潤んだ瞳で色気を演じ分けててすごかった。
映画「窮鼠はチーズの夢を見る」で、
誘惑する側の成田凌の目がうるうるだったのを思い出した。