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未来の想い出 Last Christmasの教授のレビュー・感想・評価

未来の想い出 Last Christmas(1992年製作の映画)
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公開当時に作品のことは知っていた。当時中学2年生で、原作が藤子F不二雄というのもあって、子供っぽさやら、流行りっぽさがあって無視していた。
その後テレビ放送されていた時にチラっと観て佐野元春「ガラスのジェネレーション」が使われていたことにちょっと驚いた。

その為、色んな偏見があったのだが、改めて今観ると驚く。
とても「現代」的な映画で、当時にはまったく言われていない「シスターフッド」的な映画の質感を持っている。

その証左として、原作は未読だが男性一人が、女性二人に振り分けられている。
加えて遊子(清水美砂)も銀子(工藤静香)も冒頭で「異性関係」において男性的な搾取であったり支配的行動を受ける。
表現としては控えめでも、意図としては明確で、それによって遊子と銀子が共有する秘密の共有も密度が濃いものになるし、全体的にもそれぞれの恋愛関係は、ふたりの関係値とは別の部分で描き分けられている。

ほぼ全編にわたり、ふたりに訪れる「死」という限りある生の時間の中で、ふたりにしか共有できない境遇を抱えて「どう生きるか」を模索する様が濃密なドラマになっていて大変面白い。

未来が予測できて、トラブルを回避できる。特に「金」に関しては容易く手に入れることができる。
とはいえ、自分が望む人生は、周囲との関係によって構築される部分は本質的に手に入れられないものでもあるのと、それが繰り返されるタイムリープによって学習され、それを手に入れてしまった際には、尚、その行方が自分で手に入れられないという絶望をより深めていくという脚本が見事に練られている。

一方で森田芳光的とも言えるかもしれないポップな雰囲気や、そこに「異化効果」として入り込む奇妙なショットや編集は、その「死」や「不安」をより強調した無常さに溢れている。

ラスト周りの「ハッピーエンド」演出は露骨に物語を畳みに来ている感じが強く、唐突にも見えるし、その結末には、これまで引き込まれてきたものに対しての肩透かしが強く残念には感じる。

ただ、個人的には映画で観る清水美砂はいつも清純さの中に独自の色気を感じる女優としていつも惚れ惚れするし、逆にこれまでまったく何も魅力を感じなかった工藤静香が現代的に例えれば石原さとみと同じ系譜の魅力を持っていることに気付かされて、森田芳光の演出によって引き出されているものの巧みさを強く感じられる。

特に、森田芳光的には「藤谷美和子」的な女性像に強く惹かれて、投影しているのも窺い知れて楽しかった。
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