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炎上のnowstickのレビュー・感想・評価

炎上(1958年製作の映画)
3.6
三島由紀夫原作の金閣寺の映画化。監督は市川崑で、撮影は羅生門等で有名な宮川一夫。
原作は既読。

他の人達が三島由紀夫をどう面白がっているのかは分からないが、少なくとも自分にとっては、三島由紀夫とは「考えすぎた結果、本人的には納得しているが、側から見たら訳が分からない行動に出た奴」だと思っていて、個人的にはそこを面白がっている。そして、三島作品の魅力は三島由紀夫本人の魅力と同化していて、作中の主人公の思考は三島由紀夫本人の思考と似ているのだろう。
よって三島由紀夫作品は「考えすぎた結果、よく分からない思考に陥る主人公を、客観的に見て楽しむ」という楽しみ方を、自分は今までしてきた。
社会においても、考えすぎた結果よく分からない行動を取る人は一定数存在している。そうである以上、作品中の主人公も一元的な、理解ができる行動を必ずしも取る必要は、無いだろう。

本作においても自分は、三島由紀夫的な「考えすぎた結果の訳分からない物語」を勝手に期待していたのだが、主人公のラストに至るまでの心理描写がかなり単純化されてしまっていて、「理解可能」になってしまっていた。大勢の人と多額の資金が絡む映画制作において、作り手もよく分かっていない物語を作る事はかなりリスキーであるため、単純化は避けられないのかもしれないが、その結果「普通の映画」になってしまっていた。

そういった点では、本作の後に、三島由紀夫ファンであるコッポラやポールシュレイダーが作った「タクシードライバー」や「地獄の黙示録」の方が、作品全体に漂う「トンデモなさ」と、「よく分からなさ」において、三島由紀夫的と言えるだろう。
しかしそれは、同時代に起きていたベトナム戦争という「よく分からない戦争」のメタファーとしての「よく分からない映画」だった。
また、映画理論が一旦完成した70年代のアメリカにおいて、作り手達は、まだ誰も手を付けていない分野を探していた。そういった映画業界全体の動きの中で、「一元的な理解ができない映画を作ろう」という流れから生まれた作品だったと思う。
そう考えると、50年代の日本で作られた本作は、「普通の映画」として描くことが限界だったのだろう。

という訳で、本作は良くも悪くも、普通の映画だと思う。
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