昼行灯

絞殺の昼行灯のレビュー・感想・評価

絞殺(1979年製作の映画)
4.3
父も母も最後まで自分自身の加害性に気づいてないのヤバすぎる

くずかごは母にとって勉と一緒になることの手段。くずかごを買った時に勉の隣に立って高い高いとはしゃいでいたのが伏線だった。はしゃいだ後に勉に抱き抱えられ、さらに喜んでいた母←これも勉にとっては害だったんじゃないか… はしゃいでいたのは、勉と背を並べて同じ目線に立てたからだったのだ。自殺の際も、くずかごを大事に抱えてその後にくずかごを踏み台にして死んだ。また高い高いを決行することによって、勉と同じ場所に行こうとしたのだ。
父は母の自殺を発見したあと、床に転がっていたくずかごを階段に転がして1階まで落とす。このことは、高い高いの手段であったくずかごを夫婦の主な居住域であった1階に動かすことで、母と勉が同じところに行ってしまったことを否定したかったということではないか。1階に滑り落ちていくくずかごがハイアングルかつストップモーションで捉えられることは、父が2階から落ちていくくずかごを凝視していることを示している。階段を降りたすぐ先に玄関があるが、玄関の扉は閉まったままで、画面には階段の左右の壁が多くを占めていることから、父の未来はひどく抑圧されたものであることを物語っている。

玄関から仮に外に出られたとしても、近所の人の目がある。本作品では、玄関から外に出る度に近所の人が家の中を覗いている。家の中どころか、玄関先まで押しかけてきて、頼んでもないのに勉の心配をしたり、裁判の結果を気にしたりしている。近所の人は必ず集団で押しかけてきて、玄関をぎゅうぎゅう詰めにする。玄関先に立って近所の人と話そうとする母をカメラは背後から捉える。フレーム内において後ろ姿の母は、前方を近所の人たちに塞がれているだけではない。画面の左右の端にも台所のレースのカーテンと勉によってビリビリに破られた障子が映り込み、三方向に抑圧されているようにみえる。つまり、母は外聞、家庭での役割、息子の暴力性に脅かされていたのだ。

一方、父は自分が息子を殺したというのに事件後も自由に外出しているほか、酒盛りをしたり、まるで事件前と変わらないような生活をしている。母はそんな夫に嫌気がさし、事件前とは打って変わって冷ややかな態度で夫に接するようになったのだろう。
だが、母も母で自分が息子にどのような悪影響を及ぼしていたのか自覚がないために共感できない。母はお見合い結婚だったことも手伝ってか、息子を唯一の希望と言い、おそらく恋愛対象としてみていたと思う。夫が息子を殺したベッドの上で自慰してる母親なんてそりゃないよ…それより前から息子の血が出てる指に止血とはいえしゃぶりついたり、身体を撫で回したり異常だったけどもこれがまじで衝撃すぎた😰
昼行灯

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