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犯され志願のニューランドのレビュー・感想・評価

犯され志願(1982年製作の映画)
3.7
☑️『犯され志願』及び『美少女プロレス 失神10秒前』『宇能鴻一郎の濡れて打つ』▶️▶️
’70年代は撮影所の力が一挙に低下し、大手で監督要員新卒採用は失くなるか·激減し、新人監督は、日活がロマンポルノ路線に移り·エース級が多く去り·人材不足で、くすぶってたのが少し早めに30代半ばが引き揚げられてデビューのものくらいとなり、経緯が経緯だけに作風に屈折感·斜め目線の作品が多かった。実力派長谷川和彦の表舞台登場が先鞭を付けたのか、’70年代末より、日活でも30才前後の屈託のない、端から逸材と分かるのが、デビューし始めた。正統慎重、高い知性派の中原と、明るいエンタ·活力あるオタク派の那須·金子の、セット上映日で、FAでは女性専用座席列が、赤いシートで設定されていた。
中原というと一般映画進出後の中途からしか観てなくて、かなり上品で確実なセンスに貫かれたサラブレッドという印象だが、この第1作を観ると、そのてらいない力量漲りに、まさにたまげ、溜飲が下がり続ける。本作品の唯一の欠点は、あまりに映画の醍醐味が考え抜かれ·あり続ける、その見事な‘映画’が達成·実現され過ぎた事にあるだろうか。多くの観客は正直、映画に映画を求めてばかり来ているわけではないからだ。はみ出す余裕·遊びの方を求めてる。
それにしても、前田カメラマンがリードしてインスピレーションを与えてる部分も大きいとしても映画として見事すぎる。三人の主要女優のうち、2人はローや手持ち俯瞰め移動もフィットした、従来型の受身型でチャンスを待ち、仕掛ける、したたか現実派。それに対しヒロインの姿勢·生き方は、カメラの沿い方、展開の予想する事の意味なし、直感と本能と強い視野をもち、路を切り開く以前に、己れの自然と感性に従うハードボイルドだ。2年もお互いを計りながらやっと寝た·インテリアデザイナーとしての仕事関係の設計事務所所長はそこの事務員に譲り、「男と女は闘い、油断せず若いうちに」と共に引っかけられた女が·怒る詐欺師の男にも割りとクール、スポットだけの関係の飲み屋での知り合いにも、皆ベタベタはせず、自分なりの拘りと誇りだけで接してく、勿論その場では崩れたりもするも。気っぷ·男っ振り?に惚れ惚れする、職業·仕事へのプロ意識もなおざりにされていない。男からのプレゼントの偶然置時計ばかり3つが残る。観てて気がついたが(メインタイトルでもえっ!?と思ってたが)、ヒロインは随分洗練され自信を持ってきたが、紛れもなく40年以上前観た、稀にみる完全傑作『天使の慾望』の主演2人の妹の側で、デビューしたひとで、根っこと表の強さはまさに持ち味。
陰と存在感の微細·内在あって溶け合った暗め室内の粒状感、一転昼間中や照明正面からの白めフラット感、そして徐々に強く勢いある陽光が射してくる時間の表す力。ゆっくり長い息の、前後ズームや、左右回るめ、を含んだ退きの風格ある長回しから、やがて寄り目の短めのモンタージュ·カッティングがウエイトを持って力が突出もしてくる。荒っぽい運転の車内の傾き·動きのキレもある。縦図もピントを敢えて一方はボカシたりする。屋外からの水流·せせらぎの音らも丁寧で、箱根?の料亭ロケも内外の立体浸食感が丁寧、リリカルな音楽から伸びのいい歌曲の被りの景気づけも外さない。今では見ることの少ない、魚屋·お宮らこじんまり並ぶ人間味と風情ある住家近くでの歩き。完璧さと自然·臨機に任せる、内から隙のない躍動感が呑みつくしてくる。
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山本奈津子と小田かかおる、これに関わる那須博之と金子修介、この辺のタッグやトリオは我々の世代では、特に映画ファンでなくても幾らかは目にした事があるのではないだろうか。今回の上映作は、山本奈津子も、’70年代の原悦子らと違い、枠を取っ払った本物のアイドルとして、デビューから成功を重ね、初々しさより、自信·自覚が感じられるようにもなってきた頃のもので、観にきた嘗てのファンであったろう、観客の人らも改めて魅了されたのではないか、ルーティンが耀いている。
女子プロレスものは、役者の技術不足の事が多く、アルドリッチの人気作すら緩んで見えてしまうが、那須の作は、スタンドインを上手く使ってる退きの絵もあるのかも知れないが、役者ももろリングに叩きつけられ、『ビーパップ~』で花開く那須の硬派でハチャメチャも痛快·手応え存分タッチも既にあって、大満足(『百合族』の方を再見したかった気もするが)。大学入学も拉致され強制のプロレス研入り、永年思い続けた恋人を取った·高校時代からの仇敵が·対抗戦の大学での大試合でエースのタッグ··パートナーに抜擢され奮起、大試合に臨む。何故か入れるとプロレス能力倍化のタンポンを、包茎を馬鹿にされてたを受け入れ互いに初SEXに成功した·ひたむき応援団員(の真恋人に)にリング下でセットしてもらっての、スポンサー·アイドル研による賭け対象でデキレースだったを、逆転勝利、皆わるびれない大団円括りも、爽快。
乱闘アクション体技と街頭で無許可?やりたい放題、プロレスとカメラの両アングルも知りつくし、か弱い?山本奈津子なぶりも·でも硬派に。TV的中継と客席反応のテキパキ、横からや俯瞰のリング内動きや群集捉え正確長め·カット割り効果アップも、各キャラの卑屈等ない真っ正直さ。
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明るく漫画チックで人工的な解放感、金子修介は際立っていて、『濡れて打つ』の頃はまだ控えめだった印象があったのだが、どうしてどうして、三十数年ぶりに再見すると、技術上はまだ甘くも、スピリットはここでもう万全だ。人気テニス漫画のキャラ頂き、青春学園ドラマの主題歌援用というベースはあってもややパンチを欠くと思ってると、中盤戦一気加速して価値観や展開をくるくる·しかし明るい肯定感で、ひっくり返し続け、鮮やかな限りない好感を抱かせてくれる。エレベータ内SEXを黒い枠取りや極端アングルで、飛行機音と共に思いがけぬ注目者へ横移動、モノクロスチル構成でチクりの場、ケレンたっぷり切返しで次々思わぬ変態性カップルか生まれ·性欲発散は皆テニスのスキルとスピリット向上を促す力として肯定される、その際耀く性器の大きさか放つ光の照らしや·性器に留まり刺激し続ける打球のトリッキー描写。互いを知らぬ内にELV内「肉棒」治療に及んだは、テニスプレーヤーとしての、稀なる「腰」の力を見いだし、「鍛える」爲だったと、新コーチの論理は怯むことなく、「お蝶夫人」のいう「男はテニス上達の為、決して近付けない事」との約束は、性欲の為どんどん秘密に破られてくばかりか、「腰のキレを始めとして、男との関係は絶対必要」と明るく嫌味なく広言するに進んでいくのである。サイコー·イキスギのスポ根ものに、宇能的ナレーションで進んでく。
金子タッチは数年はユニークに光りつづけたが、 最高作も『ラスト·キャバレー』辺りから·汚れも取り込んだリアリスティックな本格派に変容。平成『ガメラ』シリーズの偉業などに結実も、惜しい気もする。
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