青二歳

ライアン・ラーキン 路上に咲いたアニメーションの青二歳のレビュー・感想・評価

4.0
“ライアン・ラーキンの世界”('04)は、3Dによる異色のドキュメンタリーアニメーション“ライアン”('04)を製作した監督と、被写体であるラーキン本人を追った実写ドキュメンタリー。
芸術家同士のぶつかり合いを撮ったものであることは間違いないのだけど、片や新進アニメーター、片や依存症で身を持ち崩した往年の天才アニメーターという対比があまりにつらい。
(※上映タイトル“ライアン・ラーキン路上に咲いたアニメーション”は、“ライアン”('04)、“ライアン・ラーキンの世界”('04)、ほかライアンの短編5編(NFB時代の作品と遺作)を一挙上映したもの。ここでは実写ドキュメンタリー“ライアン・ラーキンの世界”('04)のみレビュー。全部同じDVDに収録されているので画像は正)

ドキュメンタリーの完成後に、そのドキュメンタリーの対象者に作品を見せることはどんな作品でも痛みを伴うものでしょう。傲慢なドキュメンタリー監督でない限り、撮影者も被写体も、双方に痛みが生じるものだと思います。ただ今作は特にエグい…
撮影者も被写体も共にアニメーターであり芸術家であること、そしてまたドキュメンタリー自体の出来映えに被写体への敬意が見えないし。
ただ結果として勝ち組負け組のような対比になることはなく、天才ラーキンがひとり浮かび上がるだけになるというのが面白いところ。

山岸凉子の“牧神の午後”を思い出します。作中フォーキンが天才ニジンスキーの不器用さを心配して吐露する言葉。フォーキンはニジンスキーを「翼持つ天才」といい、彼に生活する能力がないことを見抜いている。「踊るための翼は持っていても、地上でのこまごまとした事をこなす腕を彼は持ってはいないのだ」「翼を持った者には腕がない!腕がある者には翼がない。それがこの地上の鉄則なのだ」しかし人は「美しい翼と白い腕をもつこの世ならぬ者の出現を期待する」。
そして世事にまみれていくうちに精神を侵されていくニジンスキー。この漫画に描かれた世紀の天才ニジンスキーが、ドラッグ依存・アルコール依存に身を侵されていった天才ラーキンに重なります。
特にラーキンの“シランクス”という作品がとても好きなのですが、これは“牧神の午後”をモチーフにした短編で、なおニジンスキーを彷彿とさせる。“シランクス”を踏まえると余計にこのドキュメンタリーが痛ましく感じます。
とはいえ、NFBはアーティストがペイドワーカーとしてちゃんとお給料をもらえる組織。昔でいうパトロンは政府なわけで。ある時点で踏みとどまることができれば、生活する腕をのばすことが出来ただろうにと悔やまれてなりません。そんな風に思うのも自分が凡夫たるが故でしょうけれど…
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