けー

48時間PART2 帰って来たふたりのけーのネタバレレビュー・内容・結末

3.5

このレビューはネタバレを含みます

ウォルター・ヒル監督ってなんだかめっちゃカッコいい!!

驚いたのがレジーがまだ刑務所に収監されたままだったってこと。
2年のはずがさらに5年の刑期って....そりゃレジー、怒る。
伸びた5年間の刑期の間、レジーを守ってくれていたのがカークランド。
そのお礼にカークランドの娘エイミーにお金を渡す約束をしていたレジー。

wikiによると完成した映画は元々145分あって、それを120分までにカット。そして公開の一週間前にパラマウントによってさらに25分カットされて95分の映画となり公開されたということなので、50分カットされたらしい。
しかも最初の25分カットには監督かパラマウントがやったことなのかはっきりしなくて、さらにパラマウウントが25分カットしたそうなんですが、それはー....なんとも乱暴な。
145分の映画は確かにその長さだけで心が折れそうになるので、短くできるものなら頑張って短くすればいいと思うのだけれども、監督もあずかり知らなかったのだったとしたら....ってそんなカットの仕方ってあるんですか???納入後ならありなの???なんかよくわからない。

カットされなければもっといい映画になっていたのかどうかまでは見てみないことには分かりませんが、最後の鳥籠バー(?)でのアイスマンの正体、悪者成敗みたいなクライマックスのバタバタ感は何かもう少し説明されたものになっていたんじゃなかろうかとか。

エディ・マーフィは1987年に5本映画を作るとパラマウントと契約しているから、その一環かな?

 契約の時にエディ・マーフィのプロダクションサイドに裁量権も与えるとあったということだから、映画業界に黒人俳優の人たちが足を踏み入れる大きな門戸としての役割も果たそうとしたんだろうなぁと勝手に推測。エディ・マーフィによるとレジーかアクセル・フォーリー的な役柄だったら当時いくらでも映画を作ることができたということだから、48時間の続編なら黒人事情をふんだんに盛り込んだ企画も通りやすそうかなとか思ったり。

この映画もそうだったんですが、「大逆転」でも「48時間」でもヒヤリとさせられたり、今でも旬ネタとしか思えないほど鋭く的を得ているネタが散りばめられていて驚くというか。

エディ・マーフィがセリフを自分にフィットするようにセリフを直していたというから、それでなのかなと思ったり。でも初めての映画でそれができるというのもなんかすごいなと思って。エディ・マーフィもすごいけれど、ちゃんとその意見を取り入れた作り手の人たちがすごいなとかって思って。

 「48時間」のインタビューで、今だとNGだと思われる差別ネタは自分が物語を動かすキャラクターの1人だったので受け入れられたのであって例えば「48時間」でも自分がただ車に手錠で繋がれているだけの役なんだったら、いくら当時でも「これは差別だ!間違いだ!」とNGになるネタだったとエディ・マーフィが話していた。

無意識にやらかしているのと、意識的にやらかしているのとでは訳が全然違うよなと、そんな当たり前のことにようやく思い至ったというか。

あと数読みすぎてどのインタビューだったか思い出せないのだけれども、ブラックスプロイテーションのフォーマットを持ち込んだから受け入れられやすかったという話もエディ・マーフィが話していた。

でもそういう計算とかって黒人であるエディ・マーフィでないと測れない部分もたくさんあるだろうから、やっぱりその意見にきちんと耳を傾け取り入れた監督や共演者の人たちは偉いというか、良心的ないい人たちだなぁって。

デビュー作でそこまで意見を言うことができたというのはやっぱりそういう場を与えられたからだろうし、そう思うと監督のウォルター・ヒルって只者じゃないって思えてくるし、共演者のニック・ノルティもエディ・マーフィの意見に従うことに反発するようなこともなかったんだからエゴの少ないめちゃくちゃいい人だなぁとか思ったり。

普通にプロフェッショナルということなのかもしれませんが、オリジナルキャストが全然揃わない続編もあると思えば余計になんだか貴重感が際立ってしまう。

一作目の時の関係がよかったからこそ、一緒にまたやろうという気持ちになったんだと思うし。


そもそも「48時間」でなぜエディ・マーフィが主演に抜擢されることになったのかを監督が話してくれているインタビューを見つけることができました。

監督によると「舞台はルイジアナで政治家の娘が誘拐されダイナマイトを頭に巻きつけられ、犯人は48時間で娘を殺すと脅しをかけてくる。両親は腕利きの刑事に捜査を頼み、刑事はその犯人と刑務所で元同房だった囚人を刑務所から出して娘を見つける手伝いをさせる」というのが元々のアイデアだったそうだ。それがシナリオに書き下ろしていくうちに舞台は大都市に変更し、娘の頭にダイナマイトと言う案を削り、大都市での刑事物スリラーとなったと。

そしたら、パラマウントからクリントン・イーストウッド用に書き直してもらえないかと話がきたので、当人に直接会って話をしたら、そういった刑事はよく演じているのでやるなら囚人役がやりたいとクリントン・イーストウッド。しかし、「アルカトラズからの脱出」が決まったことで、彼の出演はなくなり、その頃から監督はリチャード・プライヤーを囚人役にキャスティングしたらどうだろうかと思いつくもパラマウントは乗り気ではなく、話は停滞。その間に監督は他の映画を2本撮影したらしい。

そしたら、ニック・ノルティがこの映画をやりたがっているという電話がきて、しかも彼も黒人俳優との共演でこの映画がやりたいと言っていると聞き、監督も本格的に動き出す。

当時リチャード・プライヤーはスターすぎてキャスティングに獲得することができなかったので、グレゴリー・ハインズを獲得しようとしたけれどもスケジュールがあわず。

困ったところでエージェントがエディ・マーフィのテープをいくつか送ってきていて。パラマウンも了承したのでエディ・マーフィをキャスティング。

ところが当時「SNL」の収録が忙しかったため、エディ・マーフィがLAで撮影に参加できるのが撮影開始の2週間後から。

監督はNYで当人と直接話して、ポテンシャルの高さは感じたがなんと言ってもエディ・マーフィが映画に出るのはこれが初めて。

そのためのリハーサルの時間が取れないことを考慮し、共演のニックに「エディ・マーフィは才能は確かにあるが、俳優としての訓練を受けている訳じゃない。だから、子役か犬が相手だと思って基本ワンテイクでいくつもりだ。つまり君はどのテイクでも最高の状態でいなきゃいけないってことだからな」とニック・ノルティに言ったら、ニック・ノルティは「そんな殺生な!」と大笑いしつつ了承してくれたとか。

蓋を開けてみればエディとニックの2人はとても気があってたらしく、しょっちゅう2人がかりで監督に台詞について文句をつけて来たとか。それもとても楽しかったと監督。

 ”面白い黒人=リチャード・プライヤー”という考え方のパラマウントの幹部はエディ・マーフィをやめさせるように監督にプレッシャーをかけてきたこともあり、監督が断ると、監督を首にしようとしたこともあったとか。

なんというかこのあたりの話ですっかり監督とニック・ノルティの好感度が上がりまくってしまったんですが。


48時間パート2のことは監督的には続編の考えなど全くなく、する必要もないと思っていたけれども、直接訪ねてきたエディ・マーフィから続編のアイデアを聞いて、「面白い」と思ったそうだ。その時にレジー・ハモンドで「ビバリーヒルズ・コップ」をやりたくないという話も監督にしていたそうだ。はっきりとは口にしなかったけれども、エディ・マーフィは自分のルーツに立ち返りたがっていたことと、パラマウントとは関係のないところで映画を作りたがっていたそうだ。全て自分で背負わないといけない状態でない環境で映画づくりをしたがっていたとも。

エディ・マーフィがルーツに立ち返りたがっていたと言うのはアメリカの黒人、ゲットーの現実についてで、それが監督に話したアイデアだったんじゃないかと思う。冤罪で刑期を伸ばされ、警察の内部汚職や麻薬についてやそういったことをうまくエンタメに包んで、監督とだったらできるんじゃないかと思ったんじゃないかなとかって思う。 パラマウントに削られた50分ってそのあたりを描いたところだったんじゃないかってつい勘ぐっちゃう。

レジーを助けてくれる囚人カークランドを演じたのがバーニー・ケイシー。バーニ・ケイシーは元々アメフトの選手で30歳で引退した後、俳優に転身した人。

何かもう一声レジーと絡んでくるとかあるのかと思ったのに、あれだけの登場でちょっと残念だったというか。アイスマンの手先として出てきた謎の黒人の男の人も、もう一声何かドラマがあったんじゃないかと思うけれども....。

まぁあくまでも推測でしかありませんが。

あとうろ覚えなのだけれども、「ビバリーヒルズ・コップ」のアクセル・フォーリーがまんまレジーじゃないかってクレームがついたとかどうとかってどこかで読んだ記憶があって、記憶違いかもしれないけれど、もしそういうことがあったのなら、そこをエディ・マーフィ気にしていたんじゃないかなって思ったりして。

 別にアクセル・フォーリーがそういうふうに描かれていたのはエディ・マーフィのせいではないけれども、でも、もしそういうことがあったのなら間違いなく気にしそうだし、きちんとしたいって考える気がするな。スタンダップ・コメディで数々のキャラを生み出すことが本業だけに、キャラを生み出す大変さというか、キャラに対するクレジットに敏感そうだし。

 あと「ビバリーヒルズ・コップ 3」を監督に手がけてもらいたかったポイ話も出ていたみたい。「ビバリーヒルズ・コップ3」の監督は「大逆転」と「星の王子ニューヨークへ行く」の監督だけれども、どうもこの監督と相当関係を拗らせていたみたいで。

今回読んだインタビューの中に「ペントハウス(Tower Heist)」のこともエディ・マーフィ、話していて、本当はこれクリス・タッカー、デイブ・シャペル、クリス・ロック、マーティン・ローレンス、トレーシー・モーガンでやりたかったんだそうな。スタンダップコメディアンの仲間勢揃いの映画を作りたかったんだそうだけれども叶わなかったとか。

他にもいっぱい通したかったけれども通せなかった映画の企画があったみたいで、見えないところで相当戦って消耗したんだろうなぁとか思ったり。

ついでに「ナッティ・プロフェッサー クランプ教授の場合」をやるためにはパラマウントの契約を終わらせる必要があって、それで「ヴァンパイア・イン・ブルックリン」をやったとか。(やっぱり複数本契約の縛りって結構デメリットもでかいんだ)

って、なんだかろくに自分の中で消化もしないで書き出してしまいました。

  まぁこの破壊的な文面をここまで読める人もいるメーテ😅


これまた、うろ覚えなんですがクリス・タッカーがデンゼル先生の凄さについて尋ねられて「黒人が成功するということはただ自分が成功したというだけでなく、同じ黒人にとっての”神”になるんだ。この俺ですらそういうプレッシャーを感じるのにデンゼル・ワシントンにかかるプレッシャーは計り知れない。白人だったら、成功しても自分と同じ白人のために何ができるかなんていう風には考えないだろ?それをずっと続けているんだからいかにデンゼル・ワシントンがすごいかわかるだろ?」って感じのことを答えていたんですが、エディ・マーフィにも通じるなぁって。

と、
とんでもなく取り止めのない感じですが、このあたりで。
けー

けー