真田ピロシキ

機動戦士ガンダムの真田ピロシキのレビュー・感想・評価

機動戦士ガンダム(1981年製作の映画)
4.0
急に見たくなったので多分十数年ぶりに。今更1stガンダムの革新性を語る必要はないだろうからそれは置いといて、富野監督の演出について感じたことを。最新作のGレコは初見への分かりにくさが度々槍玉に上げられるが、今では一般常識となった1stだって当時の全く知らない人だとかろうじて永井一郎が大まかな世界観を語ってくれるだけで未知の固有名詞のオンパレード。ミノフスキー粒子すら特に説明ないよ。その洪水のような情報の海を何とか読み解くのがガンダムなんじゃないの?それと今回気付いたのはTV版ではガルマに内心辛辣な言葉を発していたシャアが映画ではふっ…とせせら笑うだけで言葉には全くしてないのよね。でもどことなく不穏な雰囲気はあって、それが裏切るところで爆発するサスペンス。総集編に見えてTVと映画では雰囲気が違うのは面白い。

さて世の中には「日本人はガンダムや進撃の巨人で正義は相対的だと学んだ」と仰るオメデタイお方がいらっしゃいますが、そういう人の根拠って1stガンダムにおける一般ジオン兵の描写なんだと思うけど、見ている人がずっと多いであろう映画版ではククルス・ドアンも、名エピソードセントアンジェの親子も省かれてるのよね。尺の都合が理由だろうが、製作側は殊更ジオンが善良に見えるようなエピソードは入れてないの。それどころかコロニー内で戦闘する最初のジーンを見れば悪でしかない。連邦の悪行のせいと言いたいのかもしれないが、そんなの本作中ではせいぜいアムロの故郷のチンピラ連邦兵だけです。ジオンの末端がまともと言うなら普通に考えて連邦も大体がそうだと思うのだが、連邦を異様に悪魔視してる人は何をもって正義は相対的だと思ってるの?お前らの中で連邦は単純な悪じゃん。

それでガルマの国葬です。今度のカルト宗教と癒着してた最低野郎の国葬にキャッキャしてる人達はさ、これであんなものが何の情もないグロテスクな権力者のプロパガンダに過ぎないと描かれてるから気付けよ。見ても「うぉぉぉぉーーーーーーギレン閣下ーーーー!!!ジーーーーーークジオン!!!!!!」とか言いそうだけど。直後の戸惑うアムロと激昂するブライトであのシーンの演出意図は明白なのに。この後ヒトラーの尻尾と最大級の侮辱をはっきり言われても分かんねーんだもんな。こういう薄っぺらい連中にほとほと嫌気が差してすっかり宇宙世紀ガンダムにはアンチです。そして私はガンダムシリーズの全キャラの中でギレン・ザビが飛び抜けて一番嫌いですし、ネタでもギレンを崇拝できる人は心の底からバカにしてます。

もう少し内容について言うと、アムロの母カマリアとの下りは好き。失意の別れでズームアウトしていく叙情や古谷徹の感情を殺した演技など趣深い。戦闘演出では最近の作品に敵うはずがないが、こうしたドラマ性の優秀さが名作として語り継がれる所以。