夏藤涼太

機動戦士ガンダムの夏藤涼太のレビュー・感想・評価

機動戦士ガンダム(1981年製作の映画)
4.1
ファーストガンダムは昔TV版を見ただけで、劇場版は見たことがなかった。
しかしいい加減逆シャアを見なければなと思いたち、今回初めて劇場版を鑑賞。

昔はやはり、アムロのキャラや言動がシンジっぽさを感じたり、SFとしての整合性へのこだわりとか、組織内のドロドロとか、非勧善懲悪のドラマにエヴァっぽさを覚えたものだが、今改めて見たら……全然エヴァではないな、これ。

エヴァの本質はやはりウルトラマンで、ウルトラマンがロボットになってるだけ。
で、ウルトラマンだからドラマとしては個人の物語で、つまりはセカイ系である。組織は一応出てくるけれど、社会はほとんど描かれない。

でもガンダムの本質は戦争モノで、兵器がロボットになっている。戦争なんだから当然社会がしっかり描かれるし、自然と群像劇的な、大河的な構成になっていく。

でもガンダムで面白いのは、兵器をロボットにする=戦争モノに一種の"ファンタジー"を加えることで、現代戦争モノで描かれがちな戦争の悲惨さと愚かしさと、戦争のロマンや華みたいなものを同時に描けている点にあると思う。

第一次世界大戦について、英大統領チャーチルが「戦争からきらめきと魔術的な美がついに奪い取られてしまった。アレキサンダーやシーザーやナポレオンが兵士達と共に危険を分かち合い、馬で戦場を駆け巡り、帝国の運命を決する。そんなことはもうなくなった」と言ったように、近代戦闘の時代が始まったことで、かつて存在していた戦争の華は失われた。

だが富野由悠季は、ミノフスキー粒子というSF設定や、量産機というミリタリー概念を持ち込むことで、「ロボット兵器での白兵戦」という、中世的な戦争のロマンを、近代戦争において再現することに成功したわけだ。
(ガンダムがミリタリー作品として優れている証拠として、ジオン軍が勝つためのIF=架空戦記シミュレーションが何度も語られたのは、まさにガンダムにおける「一年戦争」が、(単なるロボットバトルものではなく、ミリオタの心を掴む)現実の戦争さながらに受け取られていたこと等が挙げられる)

なおこの手法は、『銀河英雄伝説』でも使われていて、未来の宇宙戦で第一次世界大戦的な艦隊戦を再現している。

そんなわけでビームサーベルでの戦い方は明らかに黒澤的な、侍の戦闘なのだが、ガンダムの「ガン」は銃であり、実際、最期が「ラストシューティング」である以上、ガンダムはやはり近代戦争モノなのである。

だからこそ、(第三部で)「ヒットラーの尻尾」という引用がされるように、ガンダムでは、明らかにナチスや日帝、関東軍(というより日本赤軍?)、近現代のいくつかの独立戦争をモデルにした組織や展開が描かれる。

そのため、子供向けのアニメであるにも関わらず、極限状態下での民間人を徴用しての撤退戦、兵器で人を殺せるようになってしまう優しい少年兵、民間人スパイの悲劇、占領軍の愛人、戦争の長期化による学徒動員、容赦のない主要人物の死……等々、戦争体験世代である富野由悠季ならば嫌というほど知っている、近代の戦争の愚かしさや残酷さ、狂気が、これでもかと描かれているわけだ。

理想的な戦争のロマンを描きながら、リアルでハードな戦争モノでもある。そらウケるわけだし、伝説になるわけだ。

さらにガンダムで凄いのは、単純な戦争文学や戦争映画で描かれてきた戦争ドラマを単純にジュブナイル向けアニメーションに書き起こしただけでなく、「ニュータイプ」というSF的概念を導入したことで、新たな手法で人類と戦争の関わりを描いたことである。
ニュータイプ論と戦争論についての詳しい考察は、『逆襲のシャア』の感想を参照。

(実際には、そこに70年代的なしらけ世代感のあるアムロのキャラ像やニューエイジ思想に加え、80年代への萌芽が見られる愛憎劇というかトレンディドラマ感もプラスされているので、当時としては凄い異質な戦争ドラマに映ったはず)

で、この総集編映画については……たしかにびっくりすれほど上手くまとまっているが、やはりストーリーとしては無理があると思う。
劇場版2作目や3作目みたいに演出が神がかっていたり、ほぼ新規作画であったりするわけでもないので、この1作目に関しては、単なる総集編の粋を出ていないと思った。

映画だから仕方ないとはいえ、元々ドラマが売りの作品なんだし、戦闘シーンはもう少し短くしてもよかったのかもしれない……。ドラマパートがダイジェストすぎて、感情移入しにくいだろう。

編集については、詳しくは第二部の感想を参照。
夏藤涼太

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