天鵞絨

Mr.インクレディブルの天鵞絨のレビュー・感想・評価

Mr.インクレディブル(2004年製作の映画)
3.0
助けられた側の視点が無いのが、今観ると物凄く物足りない。昔観たときは「超オモシレェ~」と興奮MAXだったのに。
今は『鬼滅の刃』が「助けられた側は助けてくれた者を追いかけて強くなる(そして、彼等を越える)」というのを色濃く描いてくれたので、まあ……時代ですよね。

家族映画としては結構良くて、機能不全家族だったが、ボブの仕事が上手くいってからは父親として育児に身が入り、妻とも上手くいくようになる。そして、最後に「自分が戦えるのは家族のお陰」と、守る対象に自分は助けられていたのだと気づくのです。
(家族映画としては4.0くらいあると思いますよ)

冒頭で強盗を捕まえるより先に、猫を助けており、目の前の危機を見過ごせない優しい精神性……つまり、少数派を見捨てないことが描かれている。それはやがて後の描写に繋がるのですが、本当のヒーローとは「守るべきもの」がある者のこと。人を殺める(少数派を犠牲にする)ことが出来ないことは決して弱いことではない。
そして、ヒーローの活動は命懸け。子供だろうと容赦なく命を落とすかもしれない。遊び半分ではないのだ。
という、「ヒーローとはなんたるものか」を明言しているのはとても良いと思います。

本作のヴィランであるシンドロームは拗らせて独りで勘違いした人間。単に「能力者じゃない=ヒーローの資格が無い」みたいな図式よりも「生半可な覚悟、おままごとの感覚で自分の名声のためだけに犠牲を払うことも厭わない幼稚な人間だからヒーローとして相応しくない」みたいな表現だとおもうんですけど。だから部下のミラージュに愛想が尽かされるしインクレディブルにも咎められるのです。


ヒーロー禁止法って要は「ピンチの時に都合良くヒーローに助けを乞う一般人、力なき無力な一般人では危機に立ち向かえない」と非難するための舞台装置であり、単に人助けをするのではなくスーパーパワーを持っている人間が人助けをする。それこそがヒーローという側面から抜け出せてない気がするんですけど。そもそもブラッド・バード氏は端から「助けられた側」のことは視野に入れてない感じなのでお門違いかもしれませんが。

一応、作中では「利己的な人間はヒーローではない」というアンサーが用意されていましたが、その図式を否定したかったなら続編は「能力を持たざる者でもヒーローになれる」を視点を描くべきだったと思いますよ。続編でやったことなんて結局「安全圏で見てるだけの行動しようとしないお前ら!」みたいな批判。だったら日常で発揮できる「ヒーローの精神とは何か?」を描くべきでしたよ。
天鵞絨

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