Neki

我等の生涯の最良の年のNekiのレビュー・感想・評価

我等の生涯の最良の年(1946年製作の映画)
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文学作品の理解のため退役兵についてもう少し学ぼうと鑑賞。出だし、空港で退役兵のフレッドは飛行機に乗れず、軍人用の案内所へ行くように言われている。廃棄寸前の軍用輸送機で退役兵を帰省させていたのか。彼らが乗っていたのはB17という大型の戦略爆撃機らしい。防衛のためにと設計されたために、頑丈で高い安定性を誇る同機は輸送にはうってつけだな。そんなB17を含む大量の飛行機が放り出され、ただ解体されるのを待っている飛行機の墓場を主人公たちは機内から目撃していた。戦争の何たるやをきっととっさに考えたことだろう。

故郷を目前にして、それぞれが不安を抱えていた。
3人はそれぞれ結婚20年と、20日と、まだ恋人という段階。その前提からして面白い。3という数字についても多少勘ぐりたくなってしまう。三位一体、三種の神器、3という数字はちょっと特別な数字。
退役兵でもなお、義手や義足の同僚には気を遣ってしまうんだなあ、とぼんやり思う。沢山いたわけではないのか、あるいは今ほどナチュラルな作りではない義手の単純な恐ろしさや不釣り合いな見た目が無意識的に気を遣わせてしまうのか。時代かもしれない。

ところで、大尉であるフレッドは機内でアルにこう言っていた。小さな家を持ち、妻と子供とささやかな家庭を築ければ自分はそれで充分であると。そのセリフを聞いて、ふと『めぐりあう時間たち』のローラを思い出した。1950年代のアメリカに生きる彼女は「理想の妻」という虚像に苦しめられている。戦争から夫の帰りを清く正しく待ちわび、子供を産み、家庭を支えるのだという理想。帰還兵は平和な家庭を望む。それは至極正しいことのように思える。しかし一方で、当時の女性の中には閉塞感を覚えていた人もいたのだろう。悪役のように描かれているけど、フレッドの妻のように奔放に生きられればそれはそれでよかったのかもしれない。戦争に従軍し功績を上げて帰ってきたという立派な肩書は、ある意味それ自体も虚像なんだと思った。軍隊という特殊環境でのみことごとく機能を発揮するただの「肩書」でしかなく、実生活にはさして影響を及ぼすことがない。しかしあの悲惨な戦争からまともに持って帰ってこられるものなどそれくらいしかないというのは空虚だ。誰しもが同じ功績を上げることはできないし、同じく命を懸けたとしても何一つ持って帰れずに帰宅する者の方が断然多い。何を得たのか、というのは、戦争を自分の中で正当化し不安や空虚さから目をそらすために大事なことなのだろう。

印象的だったのは、元銀行マンのアルが車を降りてからの家庭で過ごすシーン。かなり裕福なこの男は堅物で高圧的で、恐らく当時の文脈で言う男らしい男だ。マッチョとでもいうのか。差別用語をにべもなく使い、息子に戦利品、土産だと言って日本の刀と国旗を持って帰って来る。しかし息子は大人の対応をする。平和のために核兵器と共存していかなくてはならないことを学校で聞いたと言う。広島にいたのに、何も見ていないの?と聞かれる父親、何も答えることができない。

見ていない、ということでいうと『24時間の情事』でヒロシマについて語り合っていた日本人の男が、相手のフランス人の女に「いいや、君は何も見ていない」と言い放つシーンがあった(と思う)。会話の途中に挿入されていた何気ないセリフだったけど、あれは「表象不可能性」的な、体験していない人がいくら後から資料や写真、現地を見ても真の意味で理解はできないというニュアンスのセリフだったはずだ。

父親は見ていなかったのではなくて、理解していなかったんだろう、そこで本当は何が起こっていたのかを。あえて聞かされなかったのかもしれない。無知で高圧的な人間ほど、はたから見ていて滑稽な人間はいない。そういう父親が子供の純粋な質問にたしなめられるというのは、父親にとってかなり痛手だ。あえてそういう設定を施した人物に日本について触れさせ、終戦後一年でそのように日本というワードを映画に取り込めるウィリアム・ワイラー。検閲が入ったはずだが、この描写はハリウッド的に何か言われなかったのだろうか。当時の解釈として、あるいはここが踏み込めるギリギリのラインなのかな。

もう一人はフレッド。どんなに軍隊で功績を上げても、リアルな実生活のトラブルからは逃げられないというのなら、やはり戦争が非現実的な世界なのだろうか。実際に起こった出来事なのに、実生活に影響を及ぼすことができないのだから。それこそ戦争の虚しさ、狂気を如実に表している事実ではないだろうか。

物語はきれいに片付く。
世間との認識のずれ、無力感、義体の負い目、分かちあえないもの。映画の主人公たちは乗り越えられても、現実はこうはいかなかっただろうな
Neki

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