荻昌弘の映画評論

戦場の荻昌弘の映画評論のネタバレレビュー・内容・結末

戦場(1961年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

 今春の70ミリ映画は、すべての人の注目を、「ウェスト・サイド物語」一本に集中させてしまった観がある。その大騒動のかげでこの「戦場」などはかなり不当な“割りを食ってる”ようだ。もっとも「ウェスト・サイド」に騒いだことでは私も人後に落ちないけれどこの「戦場」も、また見逃し得ない問題作であることだけはここではっきり言っておきたいと思う。
 この「戦場」にあらわれているソ連の戦争観は、故人ドフジェンコ(このシナリオを担当)がこれを執筆した(一九四五、六年)とき以来、かの国では十数年変らぬ一枚岩の哲理なのか。コミュニズムの事情にくらい私にはよく判らぬが、私個人の立場からいえば、ここに謳われている熾烈な斗争主義は、いささか恐ろしく、かつ古風な単純さにつらぬかれすぎているように思う。私は「自衛の聖戦」においても、この映画よりもう少し戦争そのものを疑いたい。
 だが、それはそれとして、この70ミリ映画が最も感動的に表現し得ているのは、国と生活と思想を外敵に踏みにじられかけた国民の憤りと立ち上りの迫力、ということだ。それはもう、何の懐疑もない一本気の情熱として、美しささえともないつつ大画面に燃えさかっている。私は戦争そのものを疑う、といいながら、じつは心の或る部分で、このような無雑な憤りで祖国を守れる国民への羨みを禁ずることができないのである。
 とくにその点で心をうたれたのは、この映画の作者が、つねにソ連の「大地」への愛情と讃仰を軸にして、つまり「大地に生きられることの尊さ」から戦争の重大性と平和のよろこびを、描ききったことだった。地平線まで広がる戦車群や敵兵を、飛行機からの移動キャメラで俯瞰した場面など、この映画の戦場表現の壮大なすさまじさは、史上稀有のものといっていい。私たちはこのすさまじさを女流監督(ドフジェンコ未亡人ユーリア・ソーンツェバ)が表現したことでびっくりするのだが、むしろ驚くより感心すべきなのは、その戦場のすさまじさにしてからが、「大地」への愛情を座標にしてとらえられている、ということなのである。
 主人公が意識を失って花の河を流れる幻想画面、敵に襲われた農婦が、戦死した夫の像に泣く場面ーーそのあたりの映画は、ほとんど「大地」への詩にさえ、なっている。主人公の農民兵士、ヴィグラノフスキーが、またいかにも、土から生まれたハツラツさをみなぎらせた青年だったのが、この大地の詩を、更に生きたものにしたといっていいであろう。
『映画ストーリー 11(3)(127)』