ストレンジラヴ

炎のランナーのストレンジラヴのレビュー・感想・評価

炎のランナー(1981年製作の映画)
-
「勝利への公式などないのです」

古代、かの足がイングランドとスコットランドの大地を駆け抜けた。ある者は自身の存在のために、またある者は神の御心のために。
今更紹介の必要もないほどの世界的名作。だが、同時に危険な作品でもある。歴史モノを扱うときの基本のキであり最も重要な点は「どこまでが史実で、どこからがフィクションか」を明確に切り分けることにある。本作は特にそれが求められる。
本作の登場人物たちは、ユダヤ系であるエイブラハムズ(演:ベン・クロス)を除けば英国側はほぼ全員が「生まれながらに全てが与えられていた立場」の人間だ。生まれながらの貴族階級、あるいは上流階級と言っていい。つまり権威のある立場なのだ。そして劇中、当代随一のコーチであったマサビーニを雇ってまで研鑽を積むエイブラハムズに対し、ケンブリッジ大学側は「アマチュア的ではなく紳士的なやり方ではない」などと謎の批判を始める。資料を紐解いてみると、実際のエイブラハムズも言われたらしい。意味が分からない。学業をしっかり修める傍ら、走るという行為をひたすらに求道する姿勢のどこが「アマチュア的でなく、非紳士的」なのか?これと対照的なのがアメリカ代表の選手団だ。「全ては選手のため」この考え方に基づき、当時としては画期的なジャージを選手たちに支給している。この差が後に「ウィンブルドン現象」なる屈辱的な言葉を英国にもたらした。
もっと「アホか?」と思ったのはリデル(演:イアン・チャールソン)の1924年パリオリンピックにおける100m走出走問題だ。100m走予選の開催は日曜日、だが宣教師であるリデルは「安息日にレースはできない」と言い出す。最終的には同じく選手団の一員であるリンゼイ卿(演:ナイジェル・ヘイヴァース)のジェントルマンシップによって感動的な結末へと繋がるわけだが、そもそもコーチも含めて予選のスケジュールを把握していないこと自体が論外ではないか?こちらも調べてみると、さすがにフィクションであり、実際にはリデルは大会前から予選が日曜日であることを知っていたそうだ。だから本作を観て「大事なのは結果よりも態度なんだ」などと安直に解釈してしまうのは愚の骨頂なのだ。
とまあ、色々突っ込みたくなる点はあるが、「ちゃんと線引きする」という条件付きで観るならば間違いなく名作だ。どうもヴァンゲリスのスコアが独り歩きしている感は否めないが、走ることを通して己の存在を見つめ直す登場人物たちの姿は胸を打つ。
物語の舞台である第8回パリオリンピックが行われた1924年からちょうど100年、次回のオリンピック開催地は奇しくもパリだ。舞台に立つすべての者に燃える黄金の弓を、渇望の矢を、群雲の槍を、そして炎の戦車(Chariot of Fire)を与え給わんことを。