はなくそたべ夫

喜劇 大安旅行のはなくそたべ夫のレビュー・感想・評価

喜劇 大安旅行(1968年製作の映画)
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さいきん殊に思うのはまったく自分はなんでこんな人間になってしまったのか。ということで、
高校生の頃から自分の好きなものはブラックメタル、落語。など、およそ人があまり触れないようなものが多く、それでも20代半ばくらいまでは人の知らないものを知っている。という意識で多少ふんふんしているような部分もないことはなかった。
しかし一方でそういう衒学野郎のことは明確にバカにしていた。

のだが、落語に関しては仕事にしていることもあり幸か不幸かそのことばかりを考えて生きている、また生業にしているが故にその方面で知識・趣味の枝葉が伸びていくことは必定で、まぁ元来の気質がそうだったのだろう、気づいたら30を越しても誰も観んような映画を好んでみている。
(ブラックメタルだってまさかこの歳で聴いているとは思わなかった)

もはやマイナー志向や衒学意識などというものは殆どなく、だからこそじぶんが古道具みたいな映画・演芸に心根から惹かれるアホ。ということに改めて気づき始めた。

で、それ自体憂うべきことではないのだけれど、ここでちょっと問題なのが自分がいちおう放送業界にいるということで、つまり本来ならばこの業界で働いている以上、他人様がふつうに面白い、と思うことにチューニングできなければならない。あるいは新しい面白さを世に先導する存在でなければならない。

のだが、そういうことにぜんぜん興味がなく(本当に興味がないということも最近思い知った)、ひとり部屋でのそのそと骨董映画演芸に呆けている。という日々がふと恐ろしく、またそうした骨董映画も普通の映画と同じく真に面白いものはやはり10本のうち1,2本というところだろう、ほかの8,9本に触れているときはマジで自分が世を拗ねたゴミみたいな気分になる。

が、この国鉄コラボ映画「大安旅行」の登場人物たちは、その名の通り大安に牧歌的な鉄道旅行をしているだけだった。うじうじと思想を語ったりしない、そんなことひとつも考えず今日を生きている、という感じがまさに全力の生って感じで、まぁ端的に言って元気をもらった。

映画に限らず人生の辛いこと、苦しいことと無縁であるような作品は当時たくさんあったようだが、この作品は頭ひとつ抜けている、
近頃は「銭やステータスに縛られずに生きていこうぜ」的な文句をそこかしこでみかけるが、そんなこと言っているのが既に社会的ななにかに縛られている証左だ。
これは余談だが、カネ勘定の呪縛から逃れたいのならば結局カネをむっちゃ稼ぐのが一番の近道だと私は思う。

能天気が突き抜けたこの映画の人々にはそもそもそんな社会的な発想はない。そこがよい。内田百閒みてぇだ。
だからまぁとりあえず私もこのまま行こう。と思った。
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