冒頭のお坊さんがアメリカに引っ越し?して貨物室に置いてあったハチのケースがよその街に行ってしまったくだり、お坊さんはハチを探さなかったんだろうか?
(冒頭だけ見直したらお坊さんはハチを荷物で送っただけのようで、外国の知人に秋田犬を譲ったという設定かもしれない。)
すごく遠くの町に誤配されたということかな?分からない。
リチャード・ギア先生が亡くなってからは辛い展開ばかりだけど、娘はハチが懐かないからと言って飼い主の責任を放棄するのはどうなのか?
駅の人に事情を話してお金を送るとか、ハチが寝てる場所に毛布入れた犬小屋を置くとかやり方はあると思う。
なのであの娘は大嫌い。
奥さんも「ハチ!ここにいたの?」と感動の再会をしてたけど「知らんかったんかい!」と盛大に突っ込んだ。
(娘に聞いてないんかい!)
だから奥さんも嫌い。
なのに息子(孫)はハチを偉大な忠犬と褒め称えていて「おばあちゃんとお母さんにもなにかできることがあったはず」とは思ってない。
そして新しい子犬の名前は「ハチ」
死んだ動物の名前を次の子につけるのはキライなのでここも腹立つ。
そして犬が放し飼いなのでいつの時代の話かと思ってたらリチャード・ギア先生が亡くなったのが1998年とお墓に書いてたので、その当時田舎とは言え犬を野放しにしていたのか?すごく気になります。
ハチが老犬になった頃出会った飼い犬は、ビヨーンと伸びるタイプのリードに繋がれていて(すごく現代っぽい)かたやハチは首輪もせず野良生活で、すごく違和感を感じました。
でもラストのハチとリチャード・ギアが再会する場面は良かったです。